2013年9月24日~10月18日 26日間 (うち走行日数16日)
走行距離: 752km(自転車)+ 約200km(自転車を積んでのタクシー移動)
参加者: 男性1人 女性3人 全員60歳代 (だれもスペイン語はできない)
費用:約43万円(チップを含む) この時のユーロのレート133.4円
多くの巡礼は、ピレネー山脈のフランス側のふもとであるサンジャンピエドポーSaint-Jean-Pied-de-Portからスタートしサンティアゴ デ コンポステラを目指すが、この時はフランスのオロロン・サント・マリー Oloron-Sainte-Marieからピレネーのソンポルト峠を越えてスペインに入り、プエンタナレイナPuente la Reinaでサンジャンピエドポーからの道と合流するルートを走った。
ソンポルト峠からハカを経由してプエンタナレイナまでの巡礼道をアラゴンルートという。
行程と宿
巡礼道を走る計画を立てるにあたってもっとも知りたいことは、一日にどれくらい進めるか、どこの町で泊まったらいいかということではないだろうか。それによってかかる日数がわかり、帰国の日も決まってくる。
この旅の記録は2013年当時のものなので、書かれていることと現在とでは違っている点があるだろう。
スタート地点と次の日の宿は、ネットであらかじめ予約しておいたが、到達点のサンティアゴ・ デ・ コンポステーラ(以下は省略してサンティアゴとする)もふくめてその他はその時の状況に応じて宿をとった。それは四国八十八か所巡礼も同じ。遅い時間をさけ、宿をあれこれ選ばなければ、泊まる宿はあった。宿を見つけるには、まず到着した町の観光案内所 i (アイ,インフォメーション)へ行きホテルリストをもらうか紹介してもらう。この旅では、宿に行くとまず部屋を見せてもらい、それから値段を聞き納得がいったら泊まるということが多かった。
巡礼宿のアルベルゲは、歩き巡礼の人の宿泊が優先で自転車は後回しにされるので泊まれないときのことを考えておいた方がいい。また、アルベルゲに泊まるときは寝袋が必要だ。
タクシーを何回か利用したが、自転車を解体せずに積んで運んでもらえた。
以下は、旅の途中で集めたパンフレットだが、上の3枚は自宅から巡礼道までと巡礼が終わったら自宅まで自転車を運んでくれるサービス。ヨーロッパ内のことだろう。下の2つは、荷物を次の宿まで運んでくれるサービスのタグ。
以下は実際に走った距離と宿泊地である。一日の距離は長くないが、このくらいが余裕があり観光もできてよかったと思っている。
9/24(火) 成田→パリ経由→トゥールーズ
9/25(水)晴れ トゥールーズ よりOloron Ste Marieまで電車で移動
(Oloron Ste Marie泊 Hotel De La Paix 3部屋 €191 )
9/26(木) 晴れ暑い Oloron Ste Marie → Borce 自転車走行42km(累計42km)
( Borce泊 Maison Bergoun 2部屋 112€ )
9/27(金)晴れ Borce →Jaca 49km(累計91km)
(途中標高1632mのソンポルト峠を越えてスペインに入りJacaまで800m下る)
(Jaca泊 Hostal Paris 3部屋 €193 )
9/28(土) 曇り Jaca → Sangüesa 20km(累計111km)
Jaca ~San Juan de la Penã修道院往復~Javierまでタクシーを使う €150
Javier ~Sangüesaまで自転車で走行
(Sangüesa 泊 Pension El Peregrino 2部屋 €85 )
9/29(日)曇り Sangüesa → Tiebas 56km(累計167㎞)
( Tiebas泊 公営Arbergue Concejo de Tiebas 一人 €8 )
9/30(月) 晴れ Tiebas → Estella 42km(累計209㎞)
(Estella泊 Fonda San Andores 2部屋 €175 )
10/1(火) 時々小雨 Estella連泊 休息日 0km(累計209㎞)
10/2 (水) 小雨のち晴れ Estella → Logroño 52km(累計261km)
(Logroño泊 Hostal La Numantina 2部屋 €111 )
10/3(木) 曇りのち晴れ Logroño →Santo Domingo de la Calzada 54km(累計315km)
( Santo Doming泊 Parador Santo Domingo de la Calzada 2部屋 €338 )
10/4 (金)晴れ Santo Domingo de la Calzada → Burgos 33km(累計348km)
Santo Domingo de la Calzadaから San Juan de Ortegaまでの47㎞を2台のタクシーで行き、
そこから走り始めた。€70
(Burgos泊 Hotel La Puebla 2部屋 €154)
10/5 (土) 快晴 Burgos → Sahagún 51km(累計399km)
BurgosからFrómista までの73㎞を2台のタクシーで行き、そこから走り始めた。€210
(Sahagún泊 Hostal La Cordoniz 2部屋 €100 )
10/6(日)晴れ Sahagún → Léon 0km (累計399km)
Sahagún~Léonまでの57㎞をワゴンタクシー1台で行く €100 よってこの日の走行なし。
(Léon泊 Hotel París 2部屋 €115.5 )
10/7 (月) 晴れ Léon → Astorga 54km (累計453km)
(Astorga泊 Hostal La Peseta 2部屋 123€ )
10/8(火)快晴 Astorga → Molinaseca 51km (累計504km)
(Molinaseca泊 Hostal Horno 3部屋 €100 )
10/9 (水)晴れ Molinaseca → Herrerías 52km (累計556km)
(Herrerías泊 Paraiso del Bierzo 2部屋 €179 )
10/10(木)晴れ Herrerías → Tricastela 49km (累計605km)
(Tricastela 泊 Pensíon Fernándes 3部屋 €80 )
10/11 (金)晴れ Tricastela → Portmarín 46km (累計651km)
(Portmarín泊 Hotel Villa Jardin 2部屋 €110 )
10/12(土)晴れ Portmarín →Arzúa 57km (累計708km)
(Arzúa泊 Asa Jeodora 2部屋 €78 )
10/13(日)曇りのち雨 Arzúa →Santiago de Compostela 44km (累計752km)
(Santiago de Compostela泊 Hotel San Carlos 2部屋 €125 )
10/14(月) 曇りのち雨 Santiago de Compostela連泊 0km (累計752km)
10/15(火)雨 昼はFisterra観光 夜行寝台でMadridへ
タクシー1台でSantiago de Compostela~Fisterra往復 自転車はホテルに置く 120€
10/16(水)晴れ Madrid観光
(Madrid泊 Hotel Avant Torrejon 2部屋 旅行社手配 一人4,800円 )
10/17(木) Madridよりパリ経由で10/18成田着
事前準備
・自転車はランドナーやクロスバイク、替えのチューブ各自3本用意、ブレーキシューは新品に取り換えた。巡礼道は粘土質のところがあるので、キャリパーブーキはぬかるみを走った時にタイヤとの隙間に泥がつまり動かなくなるので、カンチブレーキが いい。
・旅行代理店で航空券( 174,440円 AIR FRANCE )と最終日のマドリッドのホテルを予約。ネットで、1泊目と2泊目のホテルを予約し、ほかの宿は、現地に到着してから決めた。
・7月に2泊3日の合宿、9月に荒川サイクリングロードで合同トレーニング
・8月24日に日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会の説明会に行き、自転車巡礼経験者の話を聞く(相談料1人1,000円)、その場でクレデンシャル(巡礼手帳)を購入 1,000円)以下の画像はたたんだ状態だが、これに訪れた地のBarやホテルで日付とスタンプを押してもらい、それが巡礼してきたことの証明になる。最終地でこれを見せると巡礼証明書が発行される。クレデンシャルは、主な地点で手に入るがあらかじめ持っておくと安心。ガイドブック2冊 3,900円などを各自が購入。その時は、スペインの列車に自転車が乗せられるかどうかは(裸および輪行袋の両方とも)その時ははっきりしなかった。
参考図書
・Camino de Santiago John Brierley社 £10.99(英語、スペイン語、フランス語併記、便利な巡礼地
図が付いてコンパクト)
・聖地サンティアゴ巡礼 ダイヤモンド社 2,000円
・サンティアゴ巡礼に行こう 中谷光月子著 彩流社 2,200円
(歩きの巡礼の本で、書かれたときから時間がたっているので変わっていることがあるので、旅行記だと思った方がいい。しかし、巡礼やスペインについてのたくさんの知識が盛り込まれているので、事前学習には最適)
・聖地サンティアゴ巡礼の旅 日の沈む国へ ぴあ 1,800円 (美しい本 この巡礼を理解できる)
・THE WAY OF ST JAMES a cyclists’ guide John Higginson著 icerone刊 $19.95 (自転車で走った記録)
・MICHELINの地図 (最低でも40万分の一の細かさが必要、必要な部分を拡大コピーして持っていくといい。スペインではガソリンスタンドで購入できた)
・Thomas Cook rail guides EUROPIAN RAIL TIMETABLE 2,200円 時刻表 日本の書店で販売
旅の記録
9/24(火) 成田出発
18:00 Air france受付集合 自転車のスポーツサーチャージは、1台1万円または100ドル。指示されたカウンターで払う。カード払い可。21:55発 AF277便でシャルルドゴール空港へ。
9/25(水)晴れ Oloron Ste Marie 走行距離0km
シャルルドゴール3:50着。乗り継ぎ搭乗口までは、案内の人が誘導。AF7780便Toulose行き7:15発に乗り継ぎ、8:15着。自転車はシャルルドゴールでは取り出さなくてもよく、そのままTouloseへ。
Toulose空港では大型タクシーが複数台あったが、運転手がいない。探しているうちに、Matabio駅行きの路線バスがやってきたので、乗ることにした。前乗り料金先払いで、大きな袋入り自転車4台も快く乗せてくれた。車内でも親切な乗客の男性が手伝ってくれた。車窓から見るTouloseは歴史のある古い大きな町という印象。車窓から見ると、歩道の脇には自転車ラックがあり、同じ形をした赤い自転車が何台も止められていた。市民が公共の自転車をシェアして使っているのだろうか。バスから降りて少し離れた駅舎まで重い自転車を運ぶ際、通りすがりの人が手伝ってくれた。駅の窓口で切符を買うには、整理 券の発券機で番号札をとって待つ。駅構内に入る時、黄色い機械に通して切符に日付を入れた。
Hendaye行きの急行(Intercity)10:36発に乗車。すいていた。まもなくのどかな田園風景の中を列車は走り始める。電車の中では、早速オーストラリア人の人なつっこい60代の夫婦と話が始まり、メールアドレスを教える。遊びに来いと言われ、次のツーリングはオーストラリアか? 乗換駅Pau着12:48。自転車を裸で乗せられる列車には、客車のつなぎ目の方に4台ほどの自転車用のラックがある。降りるとき列車のドアは自分で開けなければならないが、重くて難しい。Pau駅のホームに自転車と荷物を置き、トイレ(女性用は有料)とホームから直接入れるBarで、細長いパンにハムなどを挟んだものを作ってもらい、ホームのベンチで昼食とする。
Pau発14:05 Oloron行きに乗り、14:43着。すいていた。Orolon Ste Marieは、田舎の駅で、駅前は広く人がほとんどいないので自転車の組み立てをゆったりすることができた。陽ざしが暑い。自転車は異常なし。帰りのことを考えると、緩衝材を捨てるのが惜しい。これらと段ボールなどを、郵便小包で最終日のMadridのホテルに送るという方法もありか。
ロータリーには、私たちが乗ってきた列車と接続するスペインのCanfranc行のバスが待っていた。これに乗れば、ソンポルト峠近くまで1時間ほどで行ける。日程的には1日半短縮できる。1日3往復ほどしているが運行曜日等に注意。ダイヤは、バスなのにTomas Cookの時刻表に載っている。以前は、OrolonとCanfrancの間に、ピレネーの下に掘られた長いトンネルを通る鉄道が敷かれていたが、今は廃線となっている。バス便はその代替だろう。日本からネットで予約してきた駅前のHotel De La Paixはビジネス客が目立つ。iでクレデンシャルに最初のスタンプを押してもらう。スーパーで次の日の昼食や行動食を買う。夕食は、ホテルの向かいのBarで。ホテルの朝食のクロワッサンがおいしかった。自転車はホテルの裏にある駐車場にとめた。
( Hotel De La Paix 3部屋 計€191)
9/26(木)晴れ暑い Oloron Ste Marie → Borce 走行42km
朝、Oloronで一番大きい教会(多分)に寄り道をする。ドンキホーテか巡礼者をイメージした像とサンティアゴまで948km、標高235mの碑があったので記念撮影。
町外れで、黄色い矢印に沿って巡礼道を行こうとすると、先には階段が見える。あきらめて村々をつなぐローカルな道路を続く限り走ることにした。昼食は、牧場の間を通る巡礼道の木陰のイスとテーブルで。オレンジ・バナナ・クロワッサン。峠へ向かう道路N-134は大型トラックが通る。気が抜けない。Sarrance、Accous のBarに立ち寄る。このあたりはリゾート地。
宿は、英語ができる若いオランダ人の主人とペルー人の奥さんがやっている。2歳ぐらいの子どもがいる。ほかに客は一組。古い家を宿として使えるように手を入れたもので、食堂の太い梁が見事。朝食付きだったが、周りにレストランがないかもしれないので、前日電話で夕食もたのんでおいた。切り立った山間のきれいな小さな村で、それだけでおとずれる価値あり。スペインからの襲撃に備えて、家々には反撃用の小さな窓がついているが、この宿も同じ。このあたりにはクマはいるが、人を恐れて出てこないとのこと。自転車は玄関の中に保管。この宿Maison Bergounはネットで予約しておいた。質素だが当たりの宿だった。村のBarの奥の小さな食料品コーナーで、翌日のためのビスケットや果物を購入。
( Maison Bergoun 2部屋 計€112 )
9/27(金) 晴れ Borce → Jaca 国境越え 走行49km 累計91km
終日晴天。トンネルに入るメインの自動車道からわかれ、つづら折りの道に入り高度を上げる。降りて押すことが何度か。車はほとんどなし。森林限界を超えかなり平らになっても峠にはなかなかつかない。途中の見晴らしのいい岩だらけの丘の上で、果物などで昼食の代わりとする。まじかにピレネーの山々が険しくそびえる。足元には、茎がなくいきなり地面から大きな花が咲くキク科の植物がたくさん見られた。峠の手前のあたりはひろびろとして放牧の牛があちこちに。人なつっこい羊に出会い、柵越しに道端の草をちぎってあたえるとよく食べた。峠のBarでスタンプを押してもらい、シンボルのホタテガイを買う。
国境のソンポルト峠(1632m)から下る時、天気はいいが強い向かい風(西風)。身を低くしてハンドルがぶれないように注意。天気は下り坂かもしれない。道路は素晴らしく良い。Canfrancの駅に寄る。建物は大きくて豪華だが使われていない。建設時には、ピレネーを越えてスペインとフランスをつなぐ鉄道駅として期待されたのだろう。手前の道路わきにささやかな乗り場があり、ハカ Jaca方面行きの列車を待っている人たちがいた。このあたりもリゾート地のようだ。ソンポルト峠を境にしてフランス側とスペイン側では植生(景観)が異なる。降水量がスペイン側で少ないのだろう。ハカまでの下りもいい道路で快調。峠からここまで標高差860mをほぼ一気に下った。
Oloron Ste Marieからソンポルト峠を越えてJacaまでの道は、Googleの航空地図で道路の幅や交通量や大型トラックなど走っている車種を見ておいたが、自転車で走るうえでの多少の安心材料になる。
Jaca の i (観光案内所)でオステルを紹介してもらう。目の前だった。すぐそばのロマネスクのカテドラルは、中には入れなかったが外側の装飾が素晴らしい。夕食は泊まったオステルがやっているレストランの外テーブルで。イベリコ豚の生ハムがおいしい。が塩分が気になる。フロントで翌日のタクシーの手配をしてもらったが、この人も英語ができなかった。だが手振りと絵などで通じてしまう。自転車は、ホテルの裏の物置の中に保管。
(Hostal Paris 3部屋 計€193 )
9/28(土) 曇り Jaca → Sangüesa泊 走行20km 累計111km
昨夜から朝にかけて音が聞こえるほどの強い雨。昨日のうちに峠を下っておいてよかった。峠でたとえ雨が止んでいても、霧が濃く路面はぬれていて急な下りは危険だ。歩いてJacaの城塞に行くが、朝早いので入れなかった。
予約しておいたタクシー(€150)で、San Juan de la Penã 修道院経由で Javierまで行く。自転車は前輪をはずして積んだ。Penã 修道院よりさらに山の上にある修道院は博物館兼ホテルになっていて、開館時間までその周りで待つ。サフランのような花が、地面にたくさん咲いていた。寒い。待たせておいたタクシーにハビエルJavier (フランシスコザビエルの育った城)まで乗る。ここはスペインの人も訪れる観光地だった。城を見学後、Javier からSangüesaまで、山の中のきつい登りだがいい道路を自転車で走る。通る車はめったにない。
この日タクシーを使ったのは、Jaca から Sangüesaまでは長く、またPenã修道院がメインの道から外れたところにあるためだった。
Sangüesaの i の前のサンタ・マリア・ラ・レアル教会のロマネスクの彫刻に圧倒される。Vallesantoro侯爵の館の庇の木彫りの彫刻はみごと。Santiago教会の入り口のドアの上の巡礼姿を描いたフレスコ画を見る。
i で紹介された町はずれのかわいらしいペンションに泊まる。夕方から断続的に雨。夕食はスーパーで買ってきたものを部屋で食べる。翌日の朝食は、1階の素敵な居間で。調度品のセンスがいい。裕福な家のようだ。奥さんはとても親切でいい人で、フランス語とスペイン語を話すが英語はできない。自転車は、この家の車庫の中に保管。
(ペンションEl Peregrino 2部屋 計€85)
9/29(日) 曇り Sangüesa → Tiebas 走行56km 累計167km
i の先の橋を渡り右折して、本にあった通りの臭い工場(製紙工場?)のわきの道路を走り、Lumbierの谷に行こうとするが、間違った道に入り大いに迷う。川向こうに行かなければならないのに、なかなか道が見つからない。その間にローマ時代の遺跡の発掘現場に出くわす。かなりもどって、何人もの人に聞きながら、草地の中の道やひもが張ってある脇を通り抜け、雨がぱらつく高速道路の下をくぐり、ようやく谷沿いの道に入る。これでは人に聞かなければわからないはずだ。ガイドブックには「村の入り口のオスタル・ラ・トーレのところを左折してそのまま行くと、ルンビエ-ルの谷沿いの道になる」と書かれているが、そんな単純な話ではなかった。
正しくは、大きなドライブイン風のオスタル・ラ・トーレの前を通り過ぎ(オスタルの前にはロータリーがあり左にあがって行く道がいくつかあるが行ってはいけない)、Liedenaの町へ行く道路を進むと、すぐに両岸に木が生えているそれほど大きくない川があり、川を渡るとすぐ左折して川沿いの公園風の遊歩道を進むと、黄色い矢印が見つかる。そのまま前進していくと町はずれになり矢印はなくなるが、高速道路が見えてくる。高速道路にぶつかるところまで来たら、左に進み高速道路の下をくぐる。道なりに行くとLumbierの谷に至る。ここまで何人の人に道を聞いたのだろうか。
Rio Irati川が、のぞくも恐ろしいほど深く岩をえぐり取って流れるみごとなこの谷は、ハイキングコースもある観光地。人が多い。自転車を引いて、短いが真っ暗なトンネルを2つ抜ける。崖の上にはたくさんのハゲワシ止まり、空にもたくさん舞っていた。キャンピングカーで旅をしているドイツ人の若いカップルが、単眼鏡をのぞかせてくれた。谷を抜けると公園があり、そこのテーブルで昼食。
巡礼では、パン、リンゴ、オレンジ、干しイチジクなどの果物、クッキー、もちろん水などをいつでも持っているといい。Barがあればそこで食事をとればいいが、Barがない場合や眺めがよくてベンチがある場所に通りかかった場合、食べ物を持っているとうれしい。ちょうどいいところにBarがあるとは限らないので、非常食としても持っていた方がいい。
この公園には駐車場やトイレや案内事務所もある。Lumbierの谷を訪れる人はこちらから入るのが正道。巡礼道はそれを逆走するかたちなので、案内等が少なく入り方が難しかったのかもしれない。
その後、N-240、NA-234を走る。途中、看板を見てローマ橋のある小さな村に立ち寄る。日が傾きかかったころ、小さな川に架かる橋を渡ると、橋の下は家に帰るたくさんのヒツジでうめつくされ、川の流れのように移動していく。イヌがコントロールしている。群れに付き添っていた人に聞くと、600匹いるとのこと。この羊飼いの人はスペイン語しか話せない。私たちはスペイン語がわからない。でも通じてしまうところが楽しい。
丘の上にあるティエバス Tiebasの村の公営3階建てアルベルゲに泊まる。自転車は物置に入れてくれた。8人部屋2段ベッド。すでに4人が部屋に入っていて、スペイン語とフランス語と英語を話す若い女性から、私たちは4人のファミリーと説明された人たが、本当の家族でないらしいことが翌日わかる。巡礼中出会って仲良くなったのかもしれない。4人は、この女性のほかに高齢の男性(英語を話す)と若いカップルだった。
ここには、キッチン、IHヒーター、少ないが食品の販売、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機があり清潔で、近代的設備だったが、すべてのアルベルゲがこうではないと思う。今回アルベルゲに泊まったのはこの宿だけだった。
近くの眺めのいいBarでMenueのおいしい夕食。Pamplonaの夜景が見える。コース料理Menue(1皿目、2皿目、デザート)には、バスケットに盛られたパンとワイン1本または1.5リットルのペットボトルの水が付いている。1皿目、2皿目、デザートには複数の選択肢がある。だいたい€8~18。私たちは安いレストランしか入らなかったので、もっと値段の高い店もあるだろう。
( 公営Arbergue Concejo de Tiebas泊 一人 €8)
9/30(月)晴れ Tiebas → Estella泊 走行42km 累計209km
朝、出発前に町の入口にあるローマ時代の遺跡を歩いて見に行く。
Enériz: 広場に、かまどの上に乗った荷車を引く木製のロバ。一体これはなんなのか。この絵本の挿絵のような美しい村のBarで朝食。周りの人の皿を見て頼んだが、ベーコンが皿の中を泳げるほどの油のベーコンエッグ。スペインの中年以上の人のおなかが例外なく出ているのはこのような食事を長年とってきたせいかも。
途中の丘陵は耕され、巨大ピーマンなどが実っていた。とれたてのピーマンはスライスして生で食べるととてもおいしい。
Eunate:畑の中の八角形の小さなロマネスク教会。だが、月曜なので休み。見学できず。昨夜のアルベルゲでいっしょだった老婦人と出会う。速足なのに驚く。教会の周りはトウモロコシ畑で、スプリンクラーのしぶきを浴びる。この旅行中何度も安野光雅の絵が頭に浮かんだ。ここもそうだが、そんな風景によく出会った。またいつかここを訪れてみたい。
Puente la Reina:遠くから眺める橋は本当に美しい。Reina王妃もきっときれいな人だったのだろう。月曜日で橋のたもとの i は休み。その前にある水道でリンゴを洗いヨーグルトなどを食べる。キリスト磔刑教会に入り、Y字型の磔刑像を見る。ほかの教会は閉まっていて入れず。フランス人の道との合流点に立つ有名な像を人に聞きながら探し回るが結局見つからず。もっとPamplona寄りにあるのだろう。私たちは、Eunateから畑の中の巡礼道を通ってきたので、結果的にショートカットしたことになり、出会うことがなかったと思われる。
巡礼の姿が増える。自転車で巡礼する人も見かける。私たちがここまで走ってきたのは、アルルから始まる道の続きの「アラゴンルート」で、Saint Jean Pied de Portからピレネーを越えてくる「フランス人の道」より歩く人がずっと少ないのだ。Puente la Reinaのすこし手前でこれら二つの道は合流して、サンティアゴに向かう。私たちもサンティアゴに向かう。
この美しい橋を渡ってから巡礼道に入る。厳しい長い登りで重い荷物を積んだ自転車を押す。降りて押すにしてもこの登りは厳しく長い。そして暑い。休み休みやっとのことでMañeruの村の入り口に着き、泉で水を飲み頭からかぶる。かなり消耗する。N-111を行くべきだった。高い丘の上に見えるCirauquiの町の中に入る気力はなかった。町はずれにかかるローマ橋を見るために自転車を置いて歩いて下る。しばらくすると、先ほどののぼりで見た20代のカップルが、荷物を積んだマウンテンバイクを、Cirauquiの町から石がごろごろしている急坂を橋まで引いて下りてきて、そこからまた道路に向かって押して上がっていった。あの若くてたくましい女性でも難儀するほどの悪路と急坂だった。私たちにはとても無理だ。Cirauquiの町に入らなくて正解だった。
そこから自動車道を右にそれて、ローマ時代の敷石の道路を見るために巡礼山道に入る。最後の方は悪路で、自転車を押すのも大変な下り。巡礼道を丁寧に自転車で走っていたら、体力の消耗と時間がかかりすぎてサンティアゴには着けない。マウンテンバイクでも大変なのに、私たちのようなタイプの自転車と年齢では無理だ。ころんでけがをすることもあるだろう。2,3日の短いツーリングなら無理ができるが、これからの長い走行を考えると、残念だが歩きの巡礼道をすべて走ることはあきらめなければならない。その後N-111に出て、エステーリャ Estellaまで走る。暑い。
Estella:i のおばさんは、カウンター越しだが目の前で、あごが外れるほどの大あくび。カウンターの隅には、津波の被害者救済の募金箱があった。インドネシアの津波については書かれていたが、日本のことはなかった。ずいぶん昔に始めたものが、そのままになっているようだ。募金すると、付いているタグにTsunamikaと書かれた小さな人形がもらえる。
泊まったフォンダは、本の著者中谷さんがベストワンに選んでいるが、それは昔日のこと。自転車は倉庫の中に保管。夕食は、宿とPlaza Santiagoを挟んだ向かい側のレストランの外テーブルで。薬局の電子看板が外気温を表示しているが、店によって数字が違っている。
(Fonda San Andores 2部屋 計€175 )
10/1(火)小雨が降ったりやんだり Estella連泊 0km 累計209km
休養日。気温18~24℃で寒い。星降る町エステーリャ Estellaというので、丘の上にある見晴らしのいいところか平原の中にある町かと思っていたが、町の中心にrio Ega川が流れる谷あいの町だった。これでは空が少ないので星はあまり見えないと思うが、滞在期間中は曇りか雨で、もちろん星はみえなかった。
この日は町の中を見学。三角形のCácel橋、San Pedro de la Rúa教会、その裏のロマネスクの回廊、入口の彫刻がすごい San Miguel教会を訪れるが、どちらの教会も入れなかった。聖墳墓教会は探しても見つからず。iの隣の現在は博物館になっているナバーラ宮に入る。チョコレートで有名な街なので、ケーキ屋さんに入ってチョコレートケーキでお茶。
ホテルに洗濯と乾燥をたのんだが、マダムはスペイン語しかできず、いつ出来上がるのか聞いても、Si, Siしか言わない。出発までにもらえるのか不安になる。ようやくもどってきたものは、まだ湿っていた。だからSi, Siだったのだ。
2泊目の夕食は、食料品店で買ってきたものを宿の共用スペースのソファーで広げて食べた。ホワイトアスパラガスの缶詰がおいしい。Menueばかりでは野菜不足になる。共用スペースの窓からは古くて狭いメインの通りが奥の方まで見通せて、いいながめだった。
10/2(水)小雨のち晴れ Estella → Logroño 走行52km 累計261km
朝、広場沿いのパン屋さんでパンを買いカフェコンレチェ(カフェオレ)を飲む。出発して間もなく小雨が降り始める。町の門を出た後、雨具を着る。ガソリンスタンドで、ミシュランの道路地図を2枚買う。
巡礼の本に載っている地図は歩く人用で、自動車道を自転車で走る者には道路地図も必要。四国巡礼でも同じ。道を間違えると、時間の無駄、体力の消耗、そしてもどるために無理をするので危険なこともある。
町を出てから舗装した家々の間を通る巡礼道を走り、Bodegas Irache社が提供しているワインの泉Fuente del Vinoに寄る。雨は弱いがまだ降っている。ワインの方の栓をひねるが出ない。ほかの巡礼も仕方なくあきらめて記念撮影だけして立ち去る。まもなく雨は上がる。
村の入り口の大きなゴミ箱のとなりのベンチで雨具を脱ぎ、買っておいたパンなどの朝食を食べる。韓国の青年もそばで休んでいたので、オレンジを一切れ差し上げる。
N-111を走り、Los Arcosへ。Santa Maria教会は例によって開いていないが、教会前の広場にはBarがあり、何人もの巡礼たちが休憩している。マウンテンバイクも何台か止まっている。串刺しの小皿料理がおいしい。農家の人たちが集まって収穫した大きなピーマンを炭火で焼いていた。出荷するのだろう。
San Zoiloのフレスコ画があるとのことなので、Sansolの村の教会に行くが開いていない。村からは谷をはさんだ向こう側に、Torres del Ríoの村と家々の間に有名な12Cの八角形の教会がよく見える。シンプルなロマネスクの何もかもが八角形の小さな教会。開いていた(もちろん昼休みあり)。おばさんに入場料(巡礼者割引あり)を払い、クレデンシャルにスタンプを押してもらった。すてきな教会だった。
Torres del Ríoからは登り道が始まる。天気はすっかり回復し暑い晴れとなる。N.S.del Poyoの頂上付近の崩れかけた小さな建物(教会)を右に見て走る。あたりは見晴らしがよくブドウ畑が広がる。峠を越したあたりで休息した。ほとんどのブドウ畑では収穫は終わっているのに、このあたりではめずらしくまだのようだ。
Logroño:これまでの巡礼道で私たちが経験する最も大きな町。rio Ebro川にかかる長い橋(Puente de Piedra)を渡り、町に入る。カテドラルが立派。長いアーケードがある。泊まったホテルは中谷さんの本にあったもの。自転車は屋内の階段下の物置に保管。
この旅で一度はパラドールに泊まってみたいと思っていたので、iで明日のパラドールを予約し、世界遺産ユソとスソの修道院(Monasterio de San Millán de la Cogolla Soso y Yuso)のことを聞くが、前日までに予約し(この i から予約可)、専用のバスに乗って行くようになっているとのこと。バスのダイヤからすると、見学するには丸1日を見なければならないのであきらめる。
中谷さんおすすめのレストランEn Ascuaに行き夕食の予約。時間が早かったせいか、それほど混んではいなかった。スペインのレストランの夕食は、8時半オープン。9時を過ぎるとようやく店にお客が増えはじめる。この季節でも空は8時ごろまで明るい。コロッケを注文。中谷さんの本に書いてある通りに、店の奥ではブドウの木を燃料にして肉を焼いていた。
Logroñoからはリオハ州になり、有名なリオハワインの産地が始まる。いくつものBodega(ワイナリー)のわきを通ることになるが、試飲や見学するチャンスはなかった。
(Hostal La Numantina 2部屋 計€111)
10/3(木) 曇りのち晴れ Logroño → Santo Domingo de la Calzada 走行54km 累計315km
昨日見残した Real教会に寄るが入れず。町を出て左手に大きな池のある公園の中を走る。ジョギング や散歩の人がたくさんいる。長いひげをはやした名物巡礼おじいさんが待ち受ける小屋あり。自分が中世の巡礼の姿をした写真が貼ってあり、クレデンシャルにスタンプを押してもらい、果物(値段は買う人にお任せ)、飲み物を購入。小屋の後ろにはワゴン車が止まっていて、巡礼のことが車体に書いてある。これでここに毎日通ってきて、巡礼を待ち受けるのだろう。商売気はなくボランティアでやっているようだ。スペイン版の「お接待」。
Navarette:ここまで雨上がりの巡礼道を走るがBarがみつからず、朝食は、町の入り口で持っていたパンの立ち食い。町を時計回りして見つけたスーパーで食料品の調達。Barはたくさん見かけるが、私たちが必要な時にあるとはかぎらない。Barは商売なので、周りにある程度の数の人が住んでいるところで成り立つのであって、巡礼道の途中にぽつんと建ってはいない。
Sotés: 自動車道はこの丘の上の村を通過している。甘く見ていたが、村までは長いきつい登りが続く。マウンテンバイクのおじさんグループも難儀している。リーダー格の人が、大きく遅れている人を心配して止まって待っている。
Ventosa: 教会裏の見晴らしのいいベンチで、ブドウを食べる。
Alto de San Anton: 小石の塔を見るために大きな石が露出するきつい登りの巡礼山道にはいる。押すのも厳しい。だが、小石の塔は少ししかなかった。この道に入るのをやめたほうがよかったのかもしれないが、丘の上からのながめがよかった。ここからは、遠くにナヘラ Nájeraの町が小さく見え、町の背後の有名な赤い崖も見える。
Nájera: 活気がある町で、市街地は道が細く交通量が多くて危ない。Nájeraは田舎の小さな町ではなかった。大きなスーパーとBarが並ぶ前の広場で昼食をとる。そこからrio Najerilla川を渡り本物の旧市街に行き、列柱が美しいというSanta Maria la Real修道院を目指す。が、ちょうど午前の開館時間が終わったところで入れず。ようやく探し当てた修道院近くの i も当然昼休みで閉まっている。地図ももらえず。赤い崖はぽろぽろくずれるのだろうか、赤色の吹付で保護してある。その崖に沿って町を出てN-120に出る。
Azofra: 「星の巡礼」の舞台に寄る。スピリチュアルな村だそうだが、鈍感な私には普通の村だった。ふたたびN-120にもどり走り始めるが、大型トラックが高速で通り過ぎていく。ふちにはガードレールがあり休憩する場所もない。こわくてあぶない。かなり走ってから廃ガソリンスタンドがあったので入る。Nájera ~ Santo Domingo de la Calzada間は、高速道路A-12が建設中で、ここだけ途切れている。高速道路を走ってきた車が、この間だけ仕方なくN-120を通っているのだろう。スペインの車は一般道でも時速100kmは軽く出す。ここから右方向に伸びる農道を進みながら、ほかにSanto Domingoへ行く道がないか探すがない。ぐるりと回って、N-120を渡り向かい側のCirueña方面に行く畑の中の道を進む。進路をSanto Domingo方向に変えてしばらく行くと、牧草地をたくさん羊が草を食べながら同じ方向に移動していくのに遭遇。しばしながめ、ほっとする。羊たちの移動速度が速いのに驚く。
Santo Domingo de la Calzada: 小さくて古いままの縦長の町、鐘がいくつもついている塔にのぼる。眺めがいい。カテドラルに入り見上げると、話しの通りに生きたニワトリが2羽ガラス越しにいた。
泊まったパラドールは、レオンやサンティアゴとちがい、シンプルで小さいが好感が持てた。タオルもシャワーも洗面台も、当然だが清潔でちゃんとしている。ちょっとした贅沢はたまには必要。Barで頼んだビールをロビーまで運んで来てもらって、転げ落ちそうなほどふかふかなソファーで飲む。つまみに付いてきたオリーブがおいしい。自転車はホテル玄関わきの軒先に置く。
( Parador Santo Domingo de la Calzada 2部屋 計337.99 )
10/4 (金)晴れ Santo Domingo de la Calzada → Burgos 走行33km 累計348km
朝まで雨。巡礼道はぬかるんでいるだろう。先を急ぐためにサン・ファン・デ・オルテガ San Juan de Ortegaまでタクシーで行くことに(€70)。修道院前のBarで降りて走り始める。有名な木の十字架を見ようと、尾根の右を走る自動車道に入る。分岐点があり、線路を越えてOlmosに向かう。
Olmosからは、雨上がりの泥道を押して登る。ブレーキとタイヤの間にやわらかい泥がびっしりつまる。機内食のプラスチックのナイフでこそげ落とす。ようやく登った尾根筋は平らで、石と岩だらけで丈の低い木がまばらに生えている。木の十字架のところで写真を撮ったあと、ほかの巡礼たちとベンチに並んで座り、行動食を食べて休息。ここからは、自転車を引いてCardeñuela方面へ降りる。タクシーをOrtega ではなくアヘス Agésまでにすれば、もっと楽だったのかもしれない。
ビジャフリア VillafriaからはN-1に入るが、側道が自転車専用レーンになっていて安心して走れた。Av.de Cantabriaとの交差点のBarで休憩。ブルゴス Burgosは大都会だ。ここからカテドラルまでが遠い。なかなか着かないので心配になり何度も人に尋ねる。そして、ようやくついたカテドラル前の広場とその周辺の路地は人でいっぱい。
iは広場を挟んでカテドラルの向かい側。目立たないところにある近代的な建物。見つかるまで何度も人に聞く。またしても昼休みなので4時まで開かない。ドアの前には列ができている。ほかの人たちといっしょに並ぶ。ホテルリスト(地図)をくれるが紹介はしてくれない。細かい地図でよく見えないしよくわからない。仕方がないので、歩きながら安そうなホテルの看板を見つけ入って聞いてみるが、満室だったり、雨露をしのぐ程度(これが本来の巡礼宿)だったり。何件目かでカテドラルから遠いが、ようやくホテルが見つかる。この巡礼では、宿が見つかるとまず部屋を見せてもらい、それから値段を聞き納得がいったら泊まることにしていた。自転車は、エレベーターで最上階のフロアーに運ぶ。
あらためてカテドラルへ。中に入るには、チケットを買い、まず博物館に入る。カテドラルはその奥でつながっている。クレデンシャル割引があるというので、ホテルに忘れてきた二人が取りに行ってもどると、6時で閉館。二人は入れず、持ってきていた二人だけが入る。入れなかった二人は、わきの入り口からミサに参加する人たちと一緒にカテドラルに入る。ステンドグラスのバラ窓が美しい。帰り道、人だかりが。有名人が来ていて路上インタビューか?
翌日のパンを買うためにパン屋に入る。女主人がこの言葉は日本語でなんというのか熱心に聞いてくる。ペーパーナプキンにローマ字で書いてあげるが、次々と聞いてくるのでなかなか立ち去ることができなかった。若くはなかったが、彼女は英語の習得にも熱心な人だった。夕食は、店で買ったものをホテルの廊下にカウンターがあったのでそこで食べた。
(Hotel La Puebla 2部屋 計€154 )
10/5 (土)快晴 Burgos → Sahagún 走行51km 累計399km
フロミスタ Frómistaまでホテルで予約した2台のタクシー(€210)で行き、教会そばのBarの前で降りる。ロマネスクのSan Martin教会のまわりには建物がなく、すっきりよく見える。姿も周りの彫刻も朝の光を浴びてうつくしい。カリオン・デ・ロス・コンデス Carrión de los Condesまでは自動車道を走る。町の出口にあるSan Zoilo修道院は通りに面した方が入口だが、例によって閉まっている。裏側はホテルになっていた。修道院のホテルはどんなだろうか。泊まってみたかった。ここからはアスファルトの巡礼道を走る。橋のところで日本語が上手な韓国人の巡礼とであう。
続いてメセタの中のまっすぐな巡礼道を走る。舗装してないが、平らで走りやすい。途中の大木の木陰で女の人たちが休憩している。カナダや北欧やオーストラリアなど国はみんな違う。仲良く楽しそうにおしゃべりをしている。私たちと記念写真を撮ったあと、おしゃべりをしながら先に歩きはじめる。
スカート姿の巡礼もあり、スカートは遮るものがない時の用足しに便利だとか。メセタ初体験。想像していた通りの風景だった。ここを自転車で走るのは楽だが、歩くのは厳しそう。途中に避難小屋があった。
Sahagúnの手前でN-120から右にそれて、ローマ橋を渡りイスラム風ロマネスク様式の小さな教会に寄る。誰もいない、畑の中の中にぽつんと。教会の裏側にまわると、ティッシュが散乱していて野外トイレ化していた。
線路を渡りサアグーンの町に入ると、真っ先に目についたオステルに泊まった。廊下は真っ暗で、ドアも手探り。あんまりなのでフロントの人に言うと、やっと明かりがついた。省エネが徹底している。自転車は地下室に保管。オステルの前にはアルベルゲがあり、有名な鉄製のモニュメントが。サンペニート門がさびれた町に似合わず立派だった。夕食はこのオステルのレストランで食べた。
(Hostal La Cordoniz 2部屋 計€100 )
10/6(日)晴れ Sahagún → Léon タクシー移動 走行0km 累計399km
レオンまでタクシー(€100)で行くことを決めた。フロントで頼もうとするが、ポルタシオンの電話番号を書いたタグをくれるだけ。彼女はスペイン語しか話せない。電話をかけたが、出た人もスペイン語しか話せない。もう1件かけるが同じ。このオステルのBarで困っていると、男性客が立ち上がり、こちらの携帯を渡すと代わりに頼んでくれた。この人は、スペイン人で英語の先生をしている。彼は、巡礼ではなく休暇で友達と旅行しているらしい。スケッチ帳を出し何か書いてほしいという。コレクションをしていて、日本人の書いたものや絵もあった。日本語でスペインは素晴らしいというようなことを書き、英語で内容を説明してあげた。この人がいてとてもラッキーだった。まもなくワゴンのタクシーが来る。自転車は2台しか乗らず、残りの2台は後部(4WDなどがスペアのタイヤを付けるところ)に固定した。出発してすぐに、道端で休んでいるサイクリストたちから歓声が上がる。うらやましがっているということにしておこう。
ポルタシオンはいくつもあり、ほぼ巡礼道をカバーしていて、タグには電話番号、届け先のホテル名や自分の名前などを書く欄があり、それを荷物に付ける。その日の宿までリュックなどを運んでくれるシステム。ホテルのフロントのわきにこのような荷物があるのを、この後も何回か見た。手ぶらで歩けるのは助かるが、その日までに目的地に着かねばならないのと、宿の予約を入れる必要がある。タグはホテルのフロントに置いてある。
この日は全く走らなかったので、結果的に休息日となった。レオン Leonの Plaza San Domingoでタクシーを降りる。人ごみの中をカテドラルまで自転車を引いていく。自転車が心配なので二人ずつ交代でカテドラルに入る。カテドラルのフェンスのところに、荷物を付けた大きな自転車が止まっていた。よく見ると変わった自転車で、ディレーラーがどうなっているのかわからない。ドイツ人の持ち主が帰ってきて得意げに説明してくれる。この自転車に興味があるのならここにとメールアドレスを教えてくれた。フレームは鉄でできていて、非常に重い。これでスイスから走ってきたとのこと。鉄のフレームはたわまないので良いと言っていた。
歩きながらホテルを見つけ、荷物と自転車を置く。自転車は地下のガレージに保管。
ポンフェラーダ Ponferradaまで鉄道で行けないかと、Renfeの駅に歩いて行くがちょうどいいダイヤがない。それよりも、鉄道を使うとなると自転車を解体しなければならないので、その労力を考えるとこれは現実的な考えではない。帰り道、歩道を歩いていると、バスでPonferradaまで行って帰ってきたばかりの日本人の熟年夫婦に出会い、立ち話をする。二人はホテルへもどり、残りの二人は聞いたばかりのバスの駅を探しに。たどり着くが、インフォメーションの女性はスペイン語しか話せない。ほとんどの窓口は閉まっている。建物の外では長距離バスが客を乗せている。運転手に聞くと、どうやら自転車は裸で乗せられるらしい(スペイン語なので、確証はない)。次は時刻表だが、それらしいたくさんの貼り紙を見て回るが目的の地名がない。自動発券機サイズの何をするのかわからない機械があり、操作してみると画面に不鮮明な女性の顔が出てきた。その顔がわずかに動く。もしやと思い英語で話しかけると答えた。テレビ電話だったのだ。行き先と明日の時刻表がほしいというと、画面の下のところからレシートのようなものがするすると出てきて、これが時刻表だった。一日10便以上ある。
レオンは大都会なのに、英語が話せないインフォメーションの人、英語で書かれた案内板が全くないなどのため息が出るほどの状況からは信じられないほどこれは進んだ機械だった。
連れと別れ、一人でパラドール観光へ。カテドラルといいこのパラドールといい言葉に尽くせないほど豪華で大きい。こんな地方都市にまでこんなすごい建物があるのだから、スペインの植民地政策がいかに凄まじかったのかということだろう。泊まれないので、せめて中を見るだけ、そしてBarでお茶だけでもと入る。
ホテルまでの帰り道、たくさんの露天と歩けないほどの人出。親子連れも大勢来ていて楽しそうだった。今日はお祭りなのか、それとも毎日曜日がこうなのか。San Isidoro教会で子羊の門を見る。中には入れない。ホテルの近くには、ガウディが設計した銀行があるが、Astorgaの司教館と同じデザイン。
夕食は、ホテル近くのレストランで。明日は、バスも鉄道も使わすに普通に走ることに決定。この後は、Santiagoまでのすべての行程を自転車だけで走ることになる。
(Hostal Paris 2部屋 計€115.5 )
10/7(月) 晴れ Léon → Astorga 走行54km 累計453km
Paradorの前を通り、rio Bernesga川にかかる橋を渡る。町から出る道は、巡礼用の地図とは大きく違っていた。何度も人に聞き線路を渡り町を出ると、丘の上の住宅地にてっぺんに煙突がついている土でできた昔のワインの貯蔵庫がいくつも。ここからLéonの町が一望できる。その後、池のほとりの鉄でできた有名な巡礼のモニュメントを見る。高速道路をくぐって、N-120へ。しばらくわきの巡礼道を走るが、走りにくいのでN-120にあがる。
Hospital de Órbigo: 町の手前で右にそれ、伝説のある長くて美しいオルビゴ橋 へ。橋もÓrbigoの中の道路も石畳がごつごつ。自転車を降りて引く。アルベルゲはいくつもあるが、Barがなかなか見つからない。ようやく見つけて休憩。ふたたびN-120を走る。
Santo Tribioの丘: アストルガ Astorga の手前で、N-120を右にそれ、丘に建つ石の十字架を見に巡礼道に入る。丘からAstorgaの町を見下ろす。そのまま巡礼道を降り、線路を越し、ハンドルが胸に当たるほどの急坂を、自転車を押して町に入る。
Astorga: 例のごとく i は閉まっている。ガウディの司教館。敷地内にモダンなショップのある案内所がある。中は巡礼博物館になっているが閉まっていて、外側からしか見られず。城壁に沿って建てられている。カテドラルには入れない。発掘中のローマ時代の遺跡が、ガラスの屋根でおおわれている。モザイクタイルの床が残っている。
宿は、ガイドブックに載っているオステルに決め荷物を置く。自転車は地下のフロアーに保管。自転車屋があるが5時開店なのか閉まっている。人の背丈ほどもある巨大なdeuterのデイパックが店の前にあるスポーツ用品店に入る。マダムは英語が堪能。自転車関係の品物もあり、旅行中なのに思わず買いそうになる。
Astorgaはチョコレートの町、10月8日に誕生日を迎える人がいるのでお祝いのチョコレートを買う。夕食はこのオステルのレストランで。
(Hostal La Peseta 2部屋 計€123 )
10/8(火)快晴 Astorga → Molinaseca 走行51km 累計504km
8時に宿の前に出ると、前の広場ではまだ薄暗いのに市の準備。朝早く来てトラックから降ろして台を作り並べる。上品なマダムのお客が、野菜の品定めをして店の人に厳しいことを言っている。ここだけかと思っていると、となりのPlaza Mayorではもっとたくさんの露店があり、通り抜けるのが難しい。食料品から衣料品まで何でもそろう。毎日こんなにたくさんの店が出るのか、それとも市の立つ日だったのか。ホテルの前は、野菜と果物の店だけだったのだ。おやつのイチジクを買う。巡礼博物館が開くのを10時まで待つが、この日は11時開館だということがわかり入らずに出発。
Castrillo de Polvazares: 建物や敷石が、ピンクがかった小さな古い村。観光名所になっている。自転車を置いて人影のない村の中を往復する。
Santa Catalina de Somoza: 簡易舗装された尾根道に入り、この小さな村のBarで休憩。ここからモリナセカ Molinasecaまで通過する村の名前を順番に言う老人と出会う。
El Ganso: ここを通り過ぎ道端で昼食をとっていると、日本人の30代の男女二人が大きなリュックを背負い、歩いてやってきた。サンティアゴの後は、インドへ行くそうだ。
Rabanal del Camino: Barで休憩しこれからのきつい登りに備える。
Foncebadón La Cruz de Ferro: 途中押すが余力を残してイラゴ峠 Puerta Irago(1,505mh)を登りきる。十字架がある。アルベルゲはホテルが併設されている。あたりは開けていて見晴らしがいい。牛が放牧されている。鉄の十字架は細く高く、根元には小石がたくさん積まれ、写真なども置かれていた。サフランのような花があたり一面に咲く。この巡礼道にある二つの難所の峠の一つをクリア。
Manjarin: ここのアルベルゲは、国旗や世界の各地までの距離などが書かれたプレートなどがたくさんかかっていてにぎやか。日本の旗 はなかった。
Acebo: 見晴らしのいい気の抜けない急坂を下る。この小さくて古い村は、時間が止まったよう。古くなるに任せてある。泊まろうかと考えるが、通過することに。村の中の通りは石畳がごつごつ。
Molinaseca: 手入れのいいきれいな川が流れる街。一軒目が満室で、二軒目で宿が決定。自転車は1階のロビーに。ぐるぐる小さな町をまわって今晩のレストランを探すがみつからない。スーパーマーケット(日本のキョスクサイズのコンビニ)を見つけ入る。父親と小学生のかわいい女の子が店番している。レストランの場所を聞くが、自分の父親がやっているレストランの名前を紙に書いて盛んにすすめる。しかし今日は休みとのこと。女の子が、ピーナッツとレーズンをミックスしてビニールの小袋に詰めている。試食させてくれるので、これでは買わないわけにはいかない。4袋購入。夜、なんとか見つけたレストランに入り、注文が終わったところに20人ほどのスペイン語を話す巡礼たちがどっと入ってきて、彼らはおしゃべりで盛り上がる。一緒に乾杯を。 Menueは、€8で安かったがそれなりの内容だった。空には上弦の月が出ていた。
(Hostal Horno 3部屋 計€100 )
10/9(水)晴れ Molinaseca→Herrerías 走行52km 累計556km
Ponferrada: 町の手前で左折しそこね、新市街に入ってしまう。登校中の生徒や先生や何人もの人に道を聞き、やっとのことで旧市街にたどり着く。Basilica de la Eucina教会で樫の木のマリアを見る。Reloj通りの時計塔の下をくぐって、Castillo de los Tempolarisの前の広場へ。10時前だったので、Barでサラダとカフェコンレチェの朝食をとり時間調整。外の席は日陰で風があり寒い。iが開いたのでスタンプをもらい城へ。見学路や展示が充実していて、たっぷり見学する。
鉄の橋 Pons Ferradaを渡り、巡礼道に入る。途中の公園では、巡礼道が赤十字が使っている古い石造りの建物の1階をトンネルのように通りぬけていた。自転車もそれをくぐる。畑に囲まれた小さな村々を通り抜けCamponarayaで自動車道にもどる。
ここでサンティアゴまで200kmを切った。自転車の場合は、サンティアゴまで200㎞走れば巡礼証明書がもらえる。歩きの巡礼は100㎞だ。
Cacabelos: 昼食をとるためにBarを探しながら走るが、適当な店が見当たらない。周りに露店が並ぶ公園を見つけ、ベンチで持っていたパン、ビスケット、果物などを食べる。公園の中に、荷台部分が自動焼き鳥機になっているトラックが止まっている。ローラーに、ニワトリ1羽を開いたものが何羽も順序良く貼り付けられていて、回転しながらじっくり焼かれ最後にはきつね色に。おじさん一人ですべてをやっている。おいしそう。だがまるごと1羽売りのようだ。日本語で交渉してみると以心伝心で通じて、ハサミで四等分してパックに入れてもらえることになった。焼き立てはおいしい。
Villafranca del Bierzo: Pierosを通過し、赦しの門から入るために右にそれ巡礼道に入る。登りの悪路。ブドウ畑や雑木の藪の間を道は通りぬける。門はサンティアゴ教会の脇腹の位置にあり、北側の巡礼道に面している。扉は閉じている。あたりには人はいない。昔、病気やけがでこれ以上巡礼を続けることができなくなった人がここまで来ると、コンポステーラにある聖ヤコブの墓に詣でたと同じ証明書が与えられたとのこと。
右手にまわると、私営のアルベルゲがあり、早く着いた巡礼がシャワーを浴びている。トイレを借り、お茶を飲み、スタンプをもらう。街中を通らないで、自動車道に戻ったため現在地がわからなくなる。道を聞きながらN-Ⅵに入り、高速道路や巡礼道と何度も交差しながら、感じられないほどだが徐々に高度があがっていく。
Vega de Valcarce: 道端で休憩。ここで左に折れて村々をつなぐ道に入れば、次の日迷うことはなかった。地図にはこの先にも左に折れる道は載っているので、そのまま直進する。
Herrerías: ここだと思い左折するとホテルがあった。しかし、ホテルの先は牧場で行き止まり。ここでおかしいと思わなければならなかったのだが、エレリアス Herreríasの村の中だと思いこみ泊まることにした。古風な3階建て木造のリゾートホテル。部屋は質素な屋根裏部屋風で、端のベッドの人が、何度か梁に頭をぶつける。テラスの席からは牧場と牛と小川が見え、美しい景色が広がる。客たちは外のテラス席で飲み物を前にしてゆったりと本を読む。巡礼道とは思えない。西日が強い。夕食はここのレストランで。上弦の月が空にかかる。自転車は大きな倉庫の中に保管。
( Paraiso del Bierzo 2部屋 計€179.1)
10/10(木)晴れ Herrerías → Tricastela 走行49km 累計605km
ホテルを出て左に進むが、いつまでたっても最初の村のはずのLnãresにつかない。しかし、走っている道は標識によるとN-Ⅵとは違うので、昨日の道にもどってその続きを走っているという認識はない。やがて高速道路の下をくぐる。ここでまちがった道に入ったことが確実となる。しかし、かなり登ってきている。戻って再び登りなおしとなると大変だ。巡礼地図を見ると、大まかで不安があるが、この道はPedrafita do Cebreiroに向かっている。この村で左折すればO’cebreiroに行ける。ここから巡礼を始める人もいると書かれている。泊まったホテルで見かけた自転車の若いカップルが先を走っている。心強くなる。あとで、道路名が地図と違っていたり、途中から道の名が変わったりしていたことがわかる。
Pedrafita do Cebreiro: 小さい町だがひなびてはいない。大がかりな道路工事が進んでいる。車を使って観光する人は、ここからO’cebreiroに向かうのだろう。Barに入るとあのカップルもいた。夫婦で、二 人とも日本いたことがあり日本語が話せた。パン屋に入ると、ほかの食品も売っていて干しイチジクを買う。O’cebreiroまでの登りは、くねくね曲がるきれいに舗装された自動車道。ふもとの谷に白い雲がかかっている。Portmarínまで見えそうなくらのいい眺めで、原発が遠くに見えた。野バラの大きくて赤い実がきれいだ。 カップルは先に登って行った。
O’cebreiro: 標高1,300mの最後の難関の峠。巡礼道最古のシンプルなSanta María la Real教会、土産物屋はせまいが焼き物などがいろいろあってたのしい。木彫りの山ネコのパチンコと巡礼のシンボルの小さなヒョウタンを買う。三角錐の形のチーズが名物だが、大きすぎて買えなかった。店の前のネコにキャットフードをあげる。ケルト人の住居Pallozaの半地下のBarで昼食をとる。別のPallozaは博物館になっているが、ドアが開かなかった。
出発すると、急な長い下りが続く。どうも違う道らしい。ここを下ればどこかで本来の道と出会うだろうとのことでさらに下り続ける。だがそれが傷を深めることになった。村を通過するが人影はない。立派な舗装道路が終わり、アスファルト道になる。ようやく畑で農作業している人を見かけ聞くと、戻るしかないとのこと。あの長い下りを逆にのぼると思うと気持ちの整理がなかなかつかない。ちょうど自転車を載せられるほどのリヤカーがある。載せてほしいと頼むが、リーダー格の女性に断られる。午後の強い日射しの中を休み休み押してもどる。行くべきLU633とはほぼ直角に南の方に伸びているLU651に入ってしまったのだ。ようやくのことで峠のO’cebreiroにもどる。まさかここを2度も訪れることになるとは。教会の北側を通る正しい道に入る。約2時間と体力を無駄にした。元に戻ってみれば、こんなにはっきりしているのになぜ迷うのか不思議に思える。
迷う理由は、思い込み、もどるのにいきつい坂を登りたくないという気持ちが無意識に働く、巡礼地図は歩く人用なのにそれをみて走るなどがある。この場合の思い込みというのは、本にはO’cebreiroの峠は登るのに大変な困難を伴うとか、人口30人ほどの小さな集落だとか書かれていてへんぴなところというイメージが先にあり、立派な自動車道が何本も通っているとは思わなかったこと、また、正しい道とこの先で出会うなどと希望的観測をせず、間違いに気づいたらすぐにしんどくても引き返す決断が必要だ。それから、メンバーの間で何でも言える環境が必要だろう。天気が良かったのが救い。この日の午前も道に迷っている。
San Roque峠: サンティアゴを向いて強い風に帽子を押さえている大きな巡礼の像。本で読む限りでは、この像の前から急な下りが始まると思っていたがそうではなかった。これも思い込み。視界が悪ければまた迷っていたかもしれない。
Alto deo Poio: Barで休憩。水を買う。西日が強い。大きなおんどりが、客のテーブルや寝ている大きな犬の間を我がもの顔で歩きまわる。どこかで会ったかもしれないおじさん自転車グループも休憩していた。先を行くのを見ていると、彼らは坂では押していた。力量は私たちぐらい。親近感がわく。O’cebreiroからアップダウンのある尾根をかなり進むと、ようやく急坂の下りが始まる。
Tricastela: おじさんたちはアルベルゲに先に着いていた。「こっちこっち」と誘われるが、私たちはホテルを探す。Barの2階にあるペンションをやっと見つけるが、トイレとシャワーは共用。ベッドも今一つ。自転車は心配なので室内に入れる。私たちだけならいいのにと思っていたら、自転車でやってきたお相撲さんのような大男二人が1号室に入る。これじゃあ夜のトイレもおちおちいけない。スーパーでミシュランのGalicia地方の40万分の1の地図を買う。私たちは西に来すぎていて、Estellaで買った地図の範囲をだいぶ前に超えてしまっていた。夕食は、スーパーで買ってきたものをベッドの上に広げて食べた。アスパラガスの缶詰がおいしかった。二人部屋を3室使用。
(Pensíon Fernándes 3部屋 計€80 )
10/11 (金) Tricastela → Portmarín 走行46km 累計651km
朝暗いのでヘッドランプを付けて出発。
Samos: 山間の川が流れるそばのサン・フリアン・デ・サモス修道院 (San Xulián de Samos)へ。10時に開くので、それまでBarで待つ。10時になってもドアは開かない。寒いのでダウンジャケットを着る。待つ人が増えてくる。
ようやく開くが、わきのショップへ誘導されそこでまた待つ。修道院特製のハーブリキュールはこのショップには置いてなかった。スペイン語と英語の両方で説明する女性のガイドがようやくやってくる。彼女が中庭に通じるドアを開けると、かかとまである黒い僧衣を着た若い長身の修道僧が待っていた。彼はこの女性と二言三言話すと、長いすそをひるがえし回廊をかけていきドアの一つに消えた。思いがけない若さと身の軽さと修道院の中を走るということに驚く。彼はいったいどんな用があったのだろう・・・修道僧の急ぎの用ってなんだろう・・・物音一つしない修道院の一瞬の鮮やかな出来事だった。中庭のアジサイがまだ花をつけていた。アジサイは日本が原産だ。案内された2階の回廊の壁には、絵が描かれていた。ドアとドアの間すべてに大きな絵が描かれている。何かこの修道院にまつわるエピソードらしいが、新しくてしかもあまりうまくない。せっかくの修道院なのに。何か理由があるのだろう。この建物は、100年?ほど前に火事で焼けている。
Sarria: 町に入る時はPonferradaの二の舞を踏まないように、慎重に巡礼道を見つけ左折する。旧市街は例により高台に。その入口には見上げるほどの石段。右にまいて坂を押して登る。レストランで昼食をとっているとO’cebreiroまで一緒だった若いカップルが自転車でやってきた。まだ1時過ぎなのに、今日はこの町で泊るとのこと。ゆったりとしたペースで、豊かな巡礼の旅。うらやましい。そう思うと、時間が自由になる退職した私たちの方がカリカリして急いでいる。タコ料理を初注文。アルフォンソ9世の像、ロマネスク様式のSan SalvadorXⅢ教会、Monasterio da Madalenaの隣は高校で、下校時間なので親が車で何人も迎えに来ている。その前から木々に囲まれた巡礼道を下り、右折してrio Cereiro川に沿って走り、LU633に出て、跨線橋を渡る。そろそろ Santiagoまで100km。
クリの木、庭のたわわに実っているリンゴの木、穀物倉庫のオレオ、森が増える、トチの実、地面をおおうほどのオークのドングリ。前半にはなかった風景がつづく。
Portmarín: ここまでLU633を走る。ダム湖のようなものが見えると思っていたが、水量が少なく、実際は浅い谷の中央を細い川が流れているだけだった。対岸の町まで長い橋を渡ると、車が通れるよう下がくりぬかれた階段があり、その階段から高台の町に入れるようになっている。渡ってきた橋の根元には、水が少ないのでローマ時代の石の橋が見える。急坂を押して町に入る。歩道に落ちているトチの実を拾う。町の入り口の案内板にあったホテルに泊まる。このホテルの川に面した1階部分はアルベルゲ。エレベーターがある。ここのBarで初サングリア。人の姿のない町なのに、夕食で教会前広場のレストランに入るとたくさんの人。外は月明りですごく寒い。自転車はガレージに保管。
(Hotel Villa Jardin 2部屋 計€110)
10/12(土)晴れ Portmarín → Arzúa 走行57km 累計708km
Portmarín: 町を出るとLU633はいきなりきつい登りとなる。膝が痛いと思ったら、サドルがいつのまにか下がっている。固定するレバーのパッキングが劣化して割れたのが原因。Hospitalの分岐で何とかならないかと止まっていたら、自転車巡礼の若者が寄ってきて強く絞めてくれた。下がらなくなったが、今度はサドルが高すぎる。この分岐から小さな村を通る緑濃い舗装巡礼道に入る。Lameirosの十字架は気がつかず通り過ぎた。Ligondeのアルベルゲの人が、ニコンのカメラの保証書の落し主を探していた。ニコンは日本の製品だから、日本人のものだと思ったのか私たちに声をかける。見るとサインは外国人のものだった。でもなんて親切なのだろう。
Eirexe: Pension MesónがやっているBarで休む。庭のリンゴの木の下のテーブルには、何人もゆったりと座って食事をしている。私たちも座る。十代の巡礼の女の子たちが、足を椅子に載せて楽しそうにしている。ネコが、テーブルの下で客から食事を分けてもらっている。キャットフードはやっても食べない。ボカディージョにはさんである卵焼きが大好きで、あげるといくらでも食べる。しかも、ぱくっとすばやい。かわいい。ウシが目の前の巡礼道をゆっくり歩いていく。いっしょについているイヌがごみ箱におしっこをひっかけた。そんなことを仕事中にしていいのかな。
あたりは、牧草地と森がまだらに広がっていて、牛のふんのにおいが気になるが、また来たくなるような美しい風景だ。やがて道はN-547と出会うが、交通量が多いのでそのままわきの巡礼道を走る。しかし走りづらいので、まもなくN-547を走ることになる。
Palas de Rei: この町でサドルを直すために自転車屋を探す。どこにあるのか通りすがりのおばあさんに聞く。通りかかった自転車巡礼の若い男性が通訳をしてくれたが、閉まっているという。彼がサドルの高さを調節してくれた。Santiagoまでこのままなんとかなりそう。この町を見学せずに通過。
Meride: この町にも自転車屋があったが、土曜日なのか4時前のせいか閉まっている。道を挟んだ隣の名物タコ料理店に入る。客がたくさんいて大繁盛。まず大中小の木の皿を3枚持ってきて、どれにするかと聞かれる。一皿たのんでみんなで食べる。楊枝は各テーブルにある。ウェイターたちは信じられないほどきびきび動き、ここがスペインだとは思えなかった。今日中にArzúaまで行ければ、予定より1日早くSantiagoに着けるので、余った一日で最西端の町 Fisterraまで行くことを、食べながら決める。
Arzúa: 町に入っても宿が見つからない。大通りの快適そうなホテルは満室。早く着かないとダメなようだ。やっと古いオステルを見つけ泊まる。自転車は玄関の階段わきに入れる。夕食はおいしいということなので満室だったホテルのレストランでMenueを。
ここまでくれば、たとえ自転車が壊れても、歩いてSantiagoに行ける。これまで走ってきた日々が、ずいぶん昔のように思える。
(Asa Jeodora 2部屋 計€78)
10/13(日)曇りのち雨 Arzúa → Santiago de Compostela 走行44km 累計752km
ArzúaからN-547を走る。ガイドブックに書いてある通りのユーカリの林があらわれる。道路わきのBarの庭に、子どもが中に入れるほどの大きなシャコベオ君。
O Pedorouzo: Amenal Túnelより、ユーカリなどの森の中の未舗装の巡礼道を走る。舗装してない道は、時間の割には距離が稼げない。滑走路を右に巻くと、大きなひょうたんとホタテガイを彫り込んだ石碑。再び自動車道路に入る。いくつもの道がありややこしい。また巡礼道へ。LavacollaでN-634を走ろうとするが、Barで逆の方向を教えられ空港前のロータリーまで走ってしまう。戻りながら、左側にあるはずの巡礼道の入口を探す。放送局に続く道があったので、登って行くとガリシア放送局。その駐車場を抜けてようやく巡礼道に入る。ここからは住宅地の中を通り抜ける、しっかりして走りやすい道だった。
Monte do Gozoの丘: 小高い丘の上に大きなモニュメントがある。ここからはSantiagoの町は少ししか見えない。モニュメントのそばの木に靴が片方つるされていた。写真を撮った後、丘の下の売店で最後のスタンプをもらう。もっとよく町が見える場所があったのだが、これでおしまいだと思ってしまった。
Santiago de Compostela: 丘を降りると階段があり、自転車を持ち上げて降りる。橋を渡り新市街へ。自動車道は立派で、道幅も広くなる。巡礼が左側の歩道を歩いている。巡礼は道を迷うことがないので、その姿を目で確かめながら進む。雨がぱらぱら降り始める。Barに入り休憩。雨対策をして、再び旧市街を目指す。あまり迷わずPórta do Camino に着くが、自転車は工事中なのか通れない。右に迂回して前進する。Prazo Obradoiroに着くが、栄光の門がどこにあるのかわからない。聞くと、建物の中らしく入場券がいるようだ。門は明日にし、カテドラルの壁にタッチしてとりあえず着いたこととする。無事にすべての走行が終わった。
この頃から雨は本格的になる。この広場で日本人の青年と出会い、立ち話をする。彼の方は日本人にしばらくぶりにあったらしく、よくしゃべった。
雨なので、とりあえず駅のそばのホテルを目指すことにした。あらかじめ調べておいたホテルが見つからないので、目についたホテルに決める。ホテルで一休みしてからみんなで明後日の夜行寝台の乗車券を買いに行く。
サンチャゴからマドリッドへ特急で行こうとしたら、輪行袋入りの自転車は載せられず、帰りの飛行機に間に合わせるために仕方がなく、サンチャゴからマドリッドまでタクシーで行った!という話を人から聞いていたので、自分たちは大丈夫か出発前から心配していた。
駅の案内所の人は英語が話せ、1等寝台ならば輪行袋入りの自転車を載せてもいいことになる。4枚の乗車券それぞれに手書きで「bicicleta」と書き込んでくれた。Madridまでの夜行寝台1等乗車券は、一人€106.9。
夕方からは土砂降りの雨になったので、夕食は近くのスーパーAchiで買ってきたサンドイッチなどを部屋で。スーモ・ナラハ・ナチュラーレは天然オレンジジュースのことだが、このスーパーにはセルフの自動オレンジ絞り機があり、店員さんがとても親切に使い方を教えてくれた。
(Hotel San Carlos 2部屋 計€125)
10/14(月)曇りのち雨 Santiago de Compostela連泊
朝一で、巡礼証明書を発行してくれるオフィスへ行く。すでに数人が列を作って開くのを待っている。クレデンシャルを見せて確認してもらい、ラテン語で書かれた証明書をもらう。それを入れる筒も買う。記念写真を撮り合う。その後、カテドラルへ。12時のミサが始まる前に、尼僧が美しい声で讃美歌の指導をする。その澄んだ声がカテドラルに響き、この世のものとは思えなかった。ミサは注意して聞いていたが、なんとかソンポルト Sonportという地名が聞き取れた。そのあとに私たちの名前が読み上げられたはずだ。見学後、いったんホテルにもどることにするが、はぐれてしまい2人ずつ別々に帰った。再び旧市街に出てパエリアなどの昼食をとり、カテドラルの博物館にPrazo Obradoiroから入る。いいものがたくさんあり、時間がもっとほしかった。この建物の屋上の中庭風の広場を囲んでいくつものドアがあり、その中の一つをあけると大きな礼拝堂があった。もう一つこんな立派なものがあるのかと思っていたが、よくみるとあのカテドラルの礼拝堂で、キツネにつままれたような気がした。博物館の階段をいくつも上がってきて高い階にいるような気になっていたが、Prazo Obradpiroは、Prazo Quintanaより低い位置にあるのだ。そのドアから礼拝堂に入り、Pórtico de la Gloria(栄光の門)をさがす。修復中でそばには近づけたが触れなかった。
巡礼博物館に行くが、閉まっている。貼り紙を電子辞書で読もうとするが、意味が分からない。電子辞書はあまり役に立たない。コーヒーを運んでいる通りすがりの女の人に聞くと、どうやら日本と同じで月曜日は全国的に休みなようだ。
Paradorでお茶をする。外はとても立派だが、中はレオンのParadorの方がいい。日本人の3人連れが隣のテーブルにいた。red teaが紅茶と思いたのんだが、変わった味のハーブティー(パラドールなのにティーバッグ)だった。名物のサンチティアゴケーキは、アーモンドパウダーをまぶしたシンプルなスポンジケーキ。ここで、明日 料金が高くなければスペイン最西端の大西洋を望むフィステーラ岬Fisterraまでタクシーで行き、帰ってきてから時間があったら巡礼博物館に行くことを決める。フィステーラ岬は、巡礼を終えた多くの人たちが訪れる神聖な所。
明日の開館時間を確かめるために再び博物館へ。貼り紙を読もうとするが、工事中で閉まっているようなことが書かれているらしいのであきらめる。ホテルに帰り、フロントの人に明日のタクシーの予約をしてもらう。€120とのこと。85kmも往復するのに、思ったよりもずっと安かった。人だけと自転車付とではタクシー代はずいぶん違うのだろう。夕食は、旧市街のレストランで。
10/15(火)雨 Fisterra へタクシーで往復後、夜行寝台でマドリッドへ
ホテル前に9時にタクシーが来る。自転車や荷物は午後までホテルに預かってもらう。Pereiraを通りFisterraの灯台近くの売店まで走ってくれた。広い駐車場があり観光地のようだ。
霧が深く視界が10mほどしかない。あたりがどうなっているのか、どこまで行けるのかがわからない。とにかく舗装した道路があるので先に進むと、Barなどの建物や灯台や十字架が見えてくる。道のわきに0.00kmのモホンがあったので写真を撮る。
霧で視界が悪く、階段を下りて海岸近くまで行くが大西洋は見えない。風も強く、気を付けないと飛ばされそう。持ち物か何かを焼いた黒い跡がある。こんな状態なので、前日買っておいたパンなどの昼食はとれない。クレデンシャルのスタンプをもらおうとしたが、Barでもみやげものやでもらえなかった。待ってもらっていたタクシーに戻る。
ドライバーは、Finisterre の町の Arbergeを探してくれて、やさしい女主人から無事クレデンシャルにスタンプをもらうことができた。
港には漁船もあるが、ヨットが係留されていて、リゾート地のようだ。日本で言えば江ノ島のあたりに似ている?バス停には何人もの人が帰りのバスを待っていた。
タクシーは来た道とは違い、気を聞かせてくれて海岸線を選んで走ってくれた。無口な人だが親切でいい人だ。このあたりは、天気が良ければとてもながめのいいところのはず。山火事の跡がいくつもあり、家のすぐそばまで黒くなっているところもあった。異常気象と関係があるのかもしれない。マツに混じってユーカリの林もある。Noiaの近くで海岸線の道路から外れ、ホテルにもどる。
昼食を食べに旧市街へ。旧市街でもっとも狭い路地でクランク状になっているところにあるレストランに入る。お店は地下にあり、ほかに客はドイツ語を話すカップルと男性客一人だけ。彼らの食べているものがおいしそうなので、席まで行って聞き同じものを頼む。言葉ができなくてもみな親切で、お店の中がいい雰囲気になる。ホテルまでの帰り道、Rúa do HórreoとRúa da República通りが交差する角にある小さなホームセンター(IS & IS)で、パッキング用の段ボール、ロープ、結束バンドを買う。段ボールはただでもくれた。
小雨の中、荷物を持って自転車を引いてSantiago駅へ行く。ホームはじのテント風の建物の中で自転車を解体しようとするが、ダメだと言われる。しかたなくホームの中でも雨の当たらないところを探して作業開始。小雨だが、いつの間にかじっとりと濡れてくる。暗くなる前に終わり、その場所で今日の昼に食べる予定だったパンを夕食とする。
時間がタップリあるが、駅の中のイスはすべて埋まっていた。Barで過ごすがやがて案内所のイスがあいていたので移る。ホームのどのあたりで待てばいいのかをホームにある案内所の人に聞くと、キョスクのあたりとのこと。そこで自転車を置いて待つが、間違いだった。列車が着くと大急ぎで移動。Hotel train 22:33発 翌朝08:02着 Madrid Chamartin行きに乗る。
列車の通路は狭く自転車の袋を置いたら人が通れない。私たちの4台の自転車は車掌が車掌室に引っ張り込んでくれた。まもなく車掌が来て検札をし、上の段の2つのベッドを壁に収納する。これが1等と2等の違いなのだろう。コンパートメントには小さな手洗い、各自にタオルとプラスチックのコップとペットボトルの水1本が付いていた。トイレは客車のはじにある。仕様は、日本のブルートレインのようなもの。朝にはドアノックがあり起こされる。列車はスピードをだし恐ろしいくらいに揺れたそうで、途中の駅に停まって時間調整もしていたらしいが私は熟睡。
10/16(水)晴れ Madrid泊
タクシー2台で、予約しておいたホテルへ。チップをふくめて€150を払う。遠回りしているのかと思うほどなかなかつかなかったが、駅とホテルはかなり離れていたのだ。自転車と荷物をホテルに預けて、バスで Renfe 近郊線の Torrejón de Ardoz駅に行き、そこから電車を使いAtocha駅へ。プラド美術館を見学し館内のビュッフェ式のレストランで昼食をとる。その後、ソフィア王妃芸術センターでピカソのゲルニカなどの絵を見る。ふたたび電車とバスを乗り継ぎホテルに帰る。
ホテル裏のレストランで夕食。店主が一人で、きりきり舞いで客の応対している。サラダ一皿をシェアしようとするが、トマトが3切れしかない。ジェスチャーでそのことを告げると、ただちに厨房に持ち帰り戻ってきたときには4切れにふえていた。
( Hotel Avant Torrejon 2部屋 一人 4,800 )
10/17(木) パリ経由で帰国 機中泊
チェックアウトは12時ということなので、それまで部屋で自転車や荷物のパッキングのやり直しをしてすごす。1時の送迎バスに乗り空港へ。スポーツサーチャージは€100、自転車を預けホッとする。昼食を空港内のレストランでとる。
AF 1901便Madrid 20:15発に乗る。機内で、隣の席の若い男性がたどたどしい日本語で話しかけてきた。私たちが日本語で話しているのを聞いて、声をかけてきたとのこと。会話はそこでいったん途絶える。広げたパソコンの画面を見るとノートンで有名なSymantecのサイトが見える。しばらくしてもう一度会話が始まる。以前、日本に観光に行ったことがあり、その際日本語を勉強したとのこと。彼は、日本人は積極的に外国人と話をするのが苦手だというようなことを言う。今の私がまさにそうだ。話がさっき途絶えたのは私の反応が悪かったためだ。彼はフランス人で、Symantecに勤めていて、マドリッドには仕事。パリに帰るところだそうだ。奥さんと1歳の息子がいて、まだしばらくは、海外旅行は無理とのこと。今回の巡礼やシルクロードを走った話などをすると、次はどんな冒険をするのかとたずねられた。私は調子に乗って「アンデス越え」と答えてしまった。彼が日本語を勉強したように、私もスペインを旅行するには、少しはスペイン語を勉強しなければならなかったのかもしれない。ちょっと反省。
シャルルドゴール 22:20着。成田行きは、AF 278 23:25発。乗り換え時間が1時間を切っていた。しかも夜中。搭乗口2Eまで表示を見ながら小走りで移動。同じ方向に行く日本人風の人がいない。不安になるがこのまま行くしかない。パスポートコントロールの列で待っていたら、先に済ませた日本人風の男性が走り出したのが見えた。あせる。ただでさえ急がなければならないのに手荷物検査もあり、なんとマドリッドの空港で買ったワインやオリーブオイルは、液体なので持ち込みできず没収。私たちのリオハワインを係員がゴミ箱に入れていた。この仕組みに気がつかなかった自分の愚かさをくやむ。搭乗口の2Eが見えた時にはほかの乗客の姿はなく、私たちが最後だった。置いていかれることはないだろうが、こんな体験は初めてだった。
10/18(金)成田
成田18:00着
追記
道行くたくさんの人に、道を尋ねた。どの人も足を止めてとても親切に長々とスペイン語で教えてくれる。本当に助かりとてもうれしい。だが、初めの部分はなんとなくわかるが、あとはどんなに言葉を尽くしてくれても、私たちにはわからない。ただただ、「Muchas Gracias」というしかない。道を教えてくれたたくさんのスペインの人たちにもう一度 「Muchas Gracias!」
自転車の保管はどのホテルでもOKで、鍵のかかるガレージ等に入れてくれた。自転車巡礼が増えたせいもあるのだろう。
雨が降れば、とくに山道などの傾斜地では土壌が流れ、下から岩や石が顔を出す。未舗装の巡礼道は、センダなどの平らなところを別として、起伏のある山道や丘越えの場合は走るのは考えた方がいい。そんな道をけがなく走れるのは、マウンテンバイクの屈強な若者だろう。
カテドラルは巡礼道では8つ。普通の教会はイグレシアという。子供向けの簡単なものでいいから旧約聖書を出発前に読んでおくと、教会の彫刻が何を表しているのかがわかって楽しい。
地球の歩き方の巻末の料理のページはコピーして持っていくべきだった。スペイン料理にこだわっていない人でも、メニューを見て何をたのんだらいいのか困らなくていい。イベリコ生ハモンは本物。バールでも、カウンターの中の壁に、足が一本ぶら下がっていることがあった。
もし次に機会があったら、フランスのSaint Jean Pied de PortあるいはLe Puyからスタートして、ていねいにレオンまで走ってみたい。センダを走るのが楽しみ。ブルゴスから60km南東の山の中にあるサントドミンゴ・デ・シロス修道院とレトルエタのひまわり畑やユソとスソの修道院も訪れてみたい。
スペインの列車には裸の自転車が乗せられないのかと思っていたが、Santiagoのホームに1台みかけ、いつの間にかいなくなっていた。ローカルな列車になら乗せられるのかもしれないが、確証はない。
Buen Camino!