2018年 南イタリアツーリング
これは、60代の男性1人と女性3人が、イタリアの長靴のかかとの部分をぐるりと反時計回りに、自転車(300㎞あまり)と電車で旅した記録である。訪れたところはプーリア州だが、マテーラだけは隣接するバジリカータ州にある。
使用した地図は、「ミシュラン363 2万分の1 Puglia」、このエリアのbikelineの地図はない。地球の歩き方は「南イタリアとマルタ」。 航空券とホテルの予約は、旅行会社に頼んだ。また、計画を立てるにあたって、この会社からこのエリアの自転車ツーリングのアドバイスをもらった。
1.最初の晩はバーリ
(2018年 10月18日 成田→Bari 走行距離0km)
成田空港第1ターミナル北ウイング アリタリア航空チェックインカウンターあたりに11時集合。
チェックイン。スポーツバイクは別料金なし。23㎏、縦横高さの計は290cmまで。アリタリアのマイレージは、JAL でもANAでもないが、ローマからの帰りの便はANAと共同運航なのでマイレージはつく。23㎏を越えないように苦労してパッキングしたが、計量はされなかった。
成田 13:15発 AZ785便 ローマ 19:00着
ローマ乗り継ぎ 21:40発 AZ1603便 バーリ 22:45着
ローマ乗り継ぎはスムースで、ひとつ前の便でも間に合った。
バーリの空港では、旅行会社が頼んでくれた迎えの人がカタカナ書きのカードを持って待っていてくれた。チップはドライバーもいたので各5€。カートは2€、返却するとコインが戻ってくるが、それを知らなかった。ホテルには23:30時ごろ到着。エレベーターで、輪行袋入りの自転車を部屋まで運び、すぐに組み立てた。ホテルはバーリ駅前の便利なところにある。
バーリ泊 Grand Hotel Leon D’Oro (朝食付き 3部屋)
2.大きなパンと洞窟住宅の町
(10月19日 バーリ→マテーラMatera 走行距離0km)
天気は晴れ。7時から朝食。10階の食堂のテラスから朝日が昇るのが見えた。朝食はリッチ。輪行袋など必要のない荷物は、帰りの日までホテルに預かってもらった。
写真 1 バーリから輪行
まず、私鉄アップロ・ルカーネ鉄道Ferrovie Appulo Lucane (FAL) のバーリ北駅(Bari-Nord)から、アルタムーラ(Altamura)まで輪行。運賃3.20€。
バーリ発 9:49 → アルタムーラ着11:02
この駅はホテルと目と鼻の先。ピンク色のクラシックな外観とは違い、中は清潔で近代的に改装され、バールもある。
まわりの人たちがとても親切で、自転車をかかえて2階のホームへの階段を登ろうとするとエレベーターがあることを教えてくれ、自動改札でつかえていたら、近くにいた人が改札扉の開け方を教えてくれた。列車はグラビーナGravina行きとマテーラMatera行きの二両編成で、アルタムーラで切り離される。自転車を2台ずつ分けてのせると、グラビーナ行きに乗ったばばたち二人は、何人もの人にどこに行くのかと聞かれた。アルタムーラAltamuraまで行くというと納得してくれた。間違った電車に乗っていると思い心配してくれているのだ。みな本当に親切だ。
バーリの町を離れると、車窓からは、オリーブと巨大なウチワサボテンの畑が見えた。ウチワサボテンには驚いたが、あちこちで普通に見かけ、その熟した赤い実は八百屋で売られていた。オリーブ畑には、取っても取り切れないほどの石灰岩の白い石がごろごろしていて、これを取り除いて普通の畑にするのは大変だ。
私たちは、向かいの席に乗っていた太鼓腹のおじさん(年配の男性のほとんどはこの体形)に、自分の住んでいるグラビーナはいいところだと、スマホのすばらしい写真を何枚も見せてくれて、アルタムーラの後グラビーナに寄りそれからマテーラに行くように、たった20㎞の距離だと繰り返し勧められた。すべてイタリア語だったが、熱意が伝わってきて、1時間近く私たちはグラビーナに感動し続ける羽目になり、だんだんグラビーナが訪れたくなるようないい町に思えてきた。アルタムーラ直前の30分間の車窓は、丘陵にオリーブ畑が広がりきれいだった。
アルタムーラの町は駅舎の反対側の小高いところにある。線路を潜り抜け、さらに自転車で登って行くと旧市街に着く。ここまでの道の両側にはびっしりとすき間なく車が駐車していた。
バーリ門をくぐると、フェデリコⅡ世通りになる。入ったすぐにi(観光案内所)があるはずだが、シャッターが下りていて町の地図は手に入らなかった。この通りは、ドウォーモ広場に延び、そこにサンタ マリア アッスンタ大聖堂(カテドラーレ)がある。
写真 2 アルタムーラ旧市街
このあたりでは上質な小麦がとれるので、この町はパンで有名。サンタキアラ教会のすぐそばにある創業1423年のパン屋さん「S.Chiara」は、電気ではなく石窯焼き。名物の大きな!パンとパニーニを買う。広場に戻ってくる団体客がみなこの店の袋を下げている。パン屋では、日本人の4人連れの女性たちに声をかけられた。
教会の脇でパンを食べた後、自転車を引いて袋小路(クラウストロ)の小さな路地裏をのぞきながら旧市街をしばらく歩き、城壁の外周道路に出てバーリ門から下りアルタムーラの駅に戻った。この駅に隣接してsfの駅もあるが、ネットで調べても路線図はのっていない。
駅には売店も兼ねた切符を売る人が一人だけ。マテーラ行は何番線かと聞くと、直前にアナウンスがあるまでわからないと言われる。電車が何番線かあらかじめわかっていると、あわてて自転車を引いて線路を渡ったりしなくて済むのだが・・・
アルタムーラ発13:51→マテーラ着14:33に乗るが、なぜか乗客は少し手前のMatera Villaで皆降りてしまった。ここからバスになることを教えてもらい急いで降り、自転車に荷物を付けたまま、しかもなんとそのまま!引き上げてバスに乗る。バスはほぼ満員で、マテーラ中央駅(MT.C.LE)までノンストップで走る。不思議なことに、この駅には駅舎はあるが線路がない‼
降りると、バールをみつけカプチーノ€3とオレンジジュースをたのみ、トイレを借りる。マテーラは、大きな普通の町で交通量も多いが、ひとたびサッシ(洞窟住宅)地区に入るとがらりと様子が変わる。急斜面で、階段が至る所にあり、道が狭くて複雑で、車の入れるところは限られている。
地図を見ながらサッシ地区のホテルを目指す。崖の斜面の車の通れない細い路地とそれに続く短い石段をいくつも下りたりもどったり。重い荷物を付けた自転車が段を降りるたびに弾むのが気になる。なかなか見つからない。ホテルはいったいどこだ?小さなテラスに面したホテルと同じ名前のレストランが見つかる。ここが多分フロントデスクだろう。が、15:00を過ぎているのにドアは開かず。電話をするもその呼び出し音が中から聞こえるだけ。しかたなく自転車にカギをかけテラスに置いて観光することにした。
徒歩で、サッシの洞窟教会であるマドンナ・デ・イドリス教会、サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会、グロッタの家(サッシでの暮らしを再現した家)を見学する。イドリス教会への道を教えてくれた人は、ちょうどネコに餌をやっているところで、ネコが次々と10匹以上出てきた。洞窟教会は、中に光が入るので壁に緑色の藻類が広がり、フレスコ画を損ねている。早く手を打ったほうがいい。
写真 3 マテーラの洞窟住宅サッシ
暗くなってから、ヴィットリオ・ヴェネト広場から少しホテルの方へ戻ったところのアーチを潜り抜けたテラスの奥にあるレストランLa Grotta nei Sassiで夕食。いいレストランだった。パスタ(オレッキエッティ、カヴァテッリ)2皿、ヒツジと豚肉のロースト、魚のグリル、店おすすめの豚の煮込み料理、地元のチーズの盛り合わせ、赤と白ワイン、水 計90€。
マテーラ泊 サッシ地区にある洞窟のホテル Residence San Pietro Barisano
スタンダードスタジオ1室に5人で宿泊(2食付き)
3.原罪のクリプタ
(10月20日 マテーラ→ターラントTaranto 走行距離2km)
朝食は隣のドアのレストランで(もちろんサッシ)。
「原罪のクリプタ」La Cripta del Peccato Originaleを見に行くために、前日にタクシーを8:30に来るようホテルに頼んでもらっていた。自転車はホテルで預かってもらった。見学は事前に日本から9:30の回を予約、一人10€。
20分ほどで受付のあるドラゴーネワイナリーに到着。もう一組の予約客を待つ間、人なつこい犬のビヤンコたちと遊ぶ。
ここからさらにタクシーで谷に降りる階段まで行く。岩をくりぬいた入り口を入ると、内部は20畳ほどの広さのドーム形の洞窟。20人も入ったらいっぱいになる。ゆるい斜面にそのまま座るようになっていて、厳かな男性による聖歌が流れる中、一つ一つの絵にスポットライトが当たり英語の説明。ロマネスクの素朴な壁画。来てよかった。1つだけある小さな窓にはブラインドが下りていて、人がいないときは真っ暗なので緑藻は生えていない。もちろん写真撮影は禁止。
写真 4 ドラゴーネワイナリー
見学が終わりホテルに戻る前に、サッシとは深い谷をはさんだ対岸のムルジャの高台にある洞窟教会公園のビューポイントに寄ってもらうことにしたが、ドライバーにうまく伝わらなくて、公園そのものに連れていかれた。ビューポイントはそこからあまり離れていなかったので、再びタクシーで近くまで行ってもらった。
ホテルまでタクシーで戻り、110€だったが、10€返金してくれた。その後、ホテルの隣の隣にある、サン・ピエトロ・バリサーノ教会を見学。壁は緑藻に侵されていた。タクシーはこの教会の前の小さな広場まで送迎してくれた。
チエックアウトのとき、2×4=8€の宿泊税、ここのレストランが休みで夕食を食べなかったので、20×4-8=€72の返金があった。
写真5 対岸からの眺めとサッシの教会
当初は、マテーラから海辺のメタポントまで走り、そこからターラントまで輪行する予定だったが、クリプタに行くときのタクシーの車窓から、アップダウンがきついことや、道幅が狭く車のスピードが速いことなどがわかり、バーリに戻りそこからターラントまでsf(イタリアのJR)で行くことにした。よって、すべて輪行することになり、この日の走行はなし。
昨日のマテーラ駅へ行く途中に市場があったのでオレンジと洋梨を買う。大きくて先がとがっている柿があった。柿はスーパーでも八百屋でも普通に売られている。マテーラ駅のバスターミナルの木陰で代行バス(線路のない駅だから)を待ちながら、アルタ ムーラや市場で買ったパンの残り、ジャム、オレンジなどで立ち食いの昼食。下校時なのか高校生が駅のあたりに大勢いて、来るバスに次々と乗って行った。MATERA VILLALONGO駅で代行バスから鉄道に乗り換えてバーリまで行く。
マテーラ発 12:58 → バーリ着 15:02
つづいてバーリからターラントまで、fsで輪行。バーリ駅のホームは長い!200mは大げさ?ホームの端にあるトイレまで遠く、使用料は1€。ホームの途中にスーパーのドアがあり、つい入ってしまいアイス1箱などを買う。日本と違って改札がないので、こういうことができるのだ。
バーリ発 16:15 → ターラント着 17:37
検札に来た車掌が、日本に行ったことがあると言っていた。
ターラントに着くと、夕方になっていたのでライトをつけてホテルまで走る。旧市街のある島をはさんで駅とは反対側にホテルがある。橋を渡り、海沿いの道を反時計回りに走り、次の橋を渡ると間もなくホテル。橋は思ったより短く幅が狭い。
ホテルは古く新市街にある。夕食で外に出るが、土曜日のせいか歩道はお祭りのように人であふれていた。海鮮レストランに行くが、予約でいっぱい。歩き回ったが、他に入れる店は見つからなかった。仕方なく、バールのような店で若い人たちに混じって揚げパンと水とビールを買い、ホテルのロビーで食べる。昼食に続いてこの日の食事はなさけなかった。
ターラント泊 Hotel Plaza (朝食付き、2室)
4.今夜の宿がない
(10月21日 ターラント→マルッジョMaruggio 走行距離57km)
朝食後、橋を渡り旧市街へ。アラゴン城(公開していない)、ポセイドン神殿跡、ドウオーモ、旧市街の裏路地を通り抜け漁港のある海の方へ。魚市場(歩道に台を置いただけ)を通り、橋を渡って国立考古学博物館へ。
かつての修道院を改装して作った考古学博物館の収蔵品は素晴らしい。量、質ともに圧倒された。小さな地方都市でこの豊かな収蔵品。イタリアの底力を感じた。お客は私たちともう一組くらいしかいなかったが、もったいない。
写真 6 ターラント
11時よりマルッジョに向かって走行開始。市街地を出るまでは、日曜のせいか出かける車が多く、道路のはしには、ガラスのかけらやごみが散乱していて気が抜けない。Lido Gandoliあたりでようやく車が少なくなった。
昼食は、ひなびた町の道路わきの小さな店先で。その隣は小さなゲームセンター。水を買い、ベンチに座り持っていたパンなどで昼食とする。
海沿いを走り続けると、リゾートが始まる。ギリギリ海水浴シーズンなのか、浜辺で泳いでいる人がいた。右に海を見ながら、道路はゆるいアップダウンを繰り返す。
私の自転車の後輪の空気がいつの間にか抜けていた。重くてスピードが出ないのはこのせいだった。チューブを変えてサドルを上げて再び走り出す。考えてみれば、イタリアに入って本格的に走ったのはこの日が初めてだった。
沿道にはまばらに建物が立ち、シーズンには海水浴場やホテルが賑わっていたと思われるが、この季節はシャッターが閉まり人影はない。
Campomarinoで左折し内陸のマルッジョを目指す。小さな町だが入り方がよくわからない。犬の散歩をしていた人に聞いたり、ぐるぐる回ったりしているうちに町の作りがわかってきた。しかし、シーズンオフでしかも日曜日ということもあり、街にはほとんど人影はなくスーパーも閉まっていた。もちろんⅰもない。
町の中心に着いたので予約しておいたVilla Belvedereに電話するも、呼び出し音に続いてそのあと早口のイタリア語の機械音声が聞こえるだけ。何度かけなおしても同じ。出発前から、住所と連絡先が違っていたのでこの宿には不安はあった。仕方がないので、丘の上にあるVilla Belvedereの前まで行って呼び鈴を押すも誰も出てこない。門のすき間からは、洗濯物と子供の遊具が見える。だんだん日が傾いていき、寒くなる。(この旅では、ダウンやセーターを着ることがあった)
門の前でどうしようかと途方に暮れていたら、たまたま出かけるところの向かいの人が声をかけてくれて、知っている他のB&Bに電話をかけてくれたが応答なし。Villa Belvedereにも電話をかけてくれるが、機械音は留守電サービスとのこと。この人の知っているB&Bにも直接行ってみたが、誰も出てこないし明かりも消えている。5時過ぎにもう一度Villa Belvedereに電話をかけるとようやくつながり、シーズンオフでやってないとのこと。そんな‼ グーグルの地図に1件だけ宿の名前があったので直接行ってみたが、明かりも人の気配もなし。もちろん押した呼び鈴の応答もなし。冗談で言っていた「今夜はオリーブの木の下で野宿」が現実味を帯びてきた。
道の看板にマッセリアとあったので泊まれるかもしれないと、その方向に向かう途中にB&Bの看板Mari L’ ùをみつけ、だめもとで呼び鈴を押すとおばちゃんが姿を現し、その時はみんなで歓声を上げた。マルッジョには3時過ぎに着いたが、すでにあたりは暗くなっていた。一部屋50€で、2部屋で100€。夕食は、おばちゃんに教えてもらったブラジル料理店は閉まっていたので、公園の隅にあるバールでサンドイッチ。開いている店はマルッジョに来てからこの1件しか見ていない。
マルッジョ泊 Villa Belvedere ← シーズンオフで休業中なのに、手配会社のミスで予約された。
マルッジョ泊 B&BMari L’ ù 飛び込みで止まった宿。
写真 7 たまたま見つけたB&B
5.大雨とスドエスト鉄道
(10月22日 マルッジョ→ガリーポリGallipoli 走行距離64㎞)
朝、宿のおばちゃんがネクターと小さなパンを持ってきてくれた。テレビの天気予報は、北イタリアからアルプスにかけては大雨で、ギリシャからバーリ以南は、雲の下から斜め線の雨マーク。雨対策をして、おばちゃんに見送られ出発。ぽつりぽつりと雨が当たるが、先の方の空はやや明るい。だが、海沿いに出て走り始めると雨は強くなる。先の方の空は明るいが、いつまでたっても追いつけない。
San Pietro in Bevagunaでバールを見つけ入る。トイレを借り、サンドイッチを注文する。ケースの中のサンドイッチはこれでなくなった。これが今日の朝食。ガリーポリまで行くと言うと、オッジ(今日)?と聞かれ、そうだと言うと驚いた顔をされた。
再び走り始める。雨に混じって風も出てきた。私のゴアテックスは長年着ているので、両腕のあたりの防水がきかなくなっている。雨がしみ込んで下に着ているものまでぬれて寒い。Torre Lapilloで内陸の直線道路に入り、ナルドNardòを目指す。旧市街手前でスーパーを見つけ昼食を買いトイレを借りる。スーパーの軒先で立ち食いの昼食。何もかもびしょぬれ。そこから大聖堂はすぐで、フレスコ画の聖母子像はさすがだった。
ナルドの旧市街は小さい範囲だったが、そこから外に出てスドエスト鉄道の駅を目指そうとするが、容易に見つからない。スマホは何度も出して地図を確認するうちに、ぬれて調子が悪くなり使えなくなった。
駅に行くと、無人で次の電車は5時までない。それではガリーポリまで走ろうということになり少し走るが、雨が本格的になる。雷鳴と稲光も時折ある。道もよくわからないし雨も強いので、自転車を袋(みな予備の輪行袋を持っていた)に入れれば電車に乗せられるだろうということになり、駅に戻ることにした。だが、さっきまでいた駅へのもどり道がわからない。
雨の中、迷った末に駅に着き隣のバールで切符を買い、カプチーノを注文しトイレを借りる。びしょ濡れなので店のお姉さんにいやな顔をされ、彼女はこれ見よがしにモップで床を拭き始めた。早々に無人駅のホームに移動。寒い。地平線が稲光でときどき明るくなる。虹が出た時もあったが、それはつかのまで再び雨と風。 駅名はNARDO’CENTRALE。
自転車を袋に入れて準備して長い時間待ち、やっと電車に乗ると車掌から、次で降りて次に来る電車に乗るように言われた。降りると間もなく次の電車が来るが、ドアから顔を出した車掌から、だめだと言われ乗せてもらえない。駅員が大声で車掌に頼んでくれているようだが、らちが明かず電車は行ってしまった。
ここでようやく自転車持ちは乗車拒否されていることに気が付いた。この人は電話をかけてくれた。おそらく、次の電車の車掌にたのんでくれたのだろう。ホームには屋根もひさしもないので、待合室に入る。駅名はNARDO CITTÁ。線路がたくさんあるので、操車場か何からしい。駅員は2人いるが、まわりには明かりがなく暗いので見えないが、野っ原の中の駅らしい。
持っていたイタリア語会話集から、「一時預かり」、「明日」、「受け取る」の3つの単語を書きだし、さっきの駅員に見せると理解してくれた。時刻表を見せられ、明日の朝、何時の電車でガリーポリから受け取りに来るのか(多分そう言ったと思う)と聞かれたので、8時台の電車を指さした。となると、魚市場とおいしい魚のスープはお預けだと頭の隅をよぎるが、そんなことは言ってはいられない。
自転車の袋を駅の人の部屋の中に入れようとすると、「待て。次の電車に乗せられるよう電話で頼んでおいたからその結果の後だ」(多分、そういうことを言ったと思う)と言われた。次の電車にようやく乗せてもらえて、みんなで彼に何度もグラッチェを言った。彼がいなければ、待合室で一夜を明かしたかもしれない。今日一日、4人の力と経験と知恵を出し切って困難を乗り越えたという感じだった。
このあたりを走るスドエスト鉄道は、車両そのものが自転車を乗せるようにはできていない。また、車両も小型で中も狭い。袋に入れていても、4台乗せたら通路や出入り口がふさがり他の乗客が移動できない。拒否されても仕方がなかったのだろう。
列車に乗っている車掌は、乗客のことを考えての対応。駅員はわたしたちのことを見かねたうえでの対応。どちらも一生懸命で、違う立場がぶつかったのだ。
30分ほどでガリーポリに着き、自転車を組み立てライトをつけてホテルまで走った。雨はほとんど止んでいたが、水平線が雷鳴で時折明るくなっていた。
ホテルはクラシックでいい感じだった。調べておいたレストランで海の幸の夕食。食べているとき、また雨が石畳にたたきつけるように降っているのが見えた。
ガリーポリ泊 4星 Hotel Al Pescatore (朝食付き、3室)
写真 8 ガリーポリ
日本に帰ってから新聞を見ると、イタリア各地が大雨、強風、大雪などの記録的な悪天候にみまわれ、死者が出ていることが載っていた。その一端の天候にばばたちはぶつかったのかもしれない。
6.オリーブ畑で水難
(10月23日 ガリーポリ →レッチェLecce 53㎞走行)
朝食後、ガリーポリの小さな旧市街と8時オープンの魚市場を散策。4件ほどしか開いていなく、名物の魚のスープ(ズッパ・デ・ペッシェ)をいただく機会がなかった。
創業から204年の南イタリア最古の薬局は10時開店。残念。オリーブオイル運搬人組合の教会(プリタ教会)の中を見せてもらった。
昨日とは打って変わって快晴。橋を渡って新市街に入ると映画館やおしゃれなブティックのある通りとなる。P108号線を海沿いに北上し、二つ目のロータリーで右折してSannicola、Aradeoの町を通る。途中はゆるいアップダウンのあるオリーブ畑。
Nohaまでに3か所、昨日の雨で道路が深く水没していた。行くしかないので、くるぶしまで茶色の水につかりながらつっきる。道路はあちこち穴があいているので、そこに突っ込んだら転倒するので、なるべく道路の中央を選んで走る。さっき水しぶきを跳ね上げて追い抜いて行った車が、白い煙を上げて立ち往生していた。やがて道路は通行止めとなる。天気はいいが、昨日の雨が畑から道路の低いところめがけて小さな滝状に流れ込んでいる。オリーブ畑は泥色に水没。そう言えばイタリアに入ってから、道路の側溝を見ていない。このあと水はどうなるのだろうか。
写真 9 大雨の後のオリーブ畑
Galatinaの旧市街をとりまく道路沿いのスーパーで、昼食を買い店の庭で食べた。人なつっこい猫がいた。その後、反時計回りにまいてソレトSoletoへ、次に、ステルナチアSternatiaへ。この二つの小さな町はひっそりしていたが、ギリシャの文化を色濃く残すらしい。ステルナチアでは、門をくぐったところの右側にある図書館でお手洗いを借りる。奥へ案内してくれた人は困惑顔。
その後、高速道路S16にぶつかり、しばらく平行した脇の道を行き、さらにそれに続く田舎道にはいる。こんな時は、iPadが頼もしい。ガルニャーノGalugnanoの標識を確認しながらさらに田舎道をレッチェLecceの方へ進む。まわりは、邸宅、畑、農地など。ヤギもいた。やがて、レッチェの町を囲む環状の高速道路にぶつかり、そこにはサッカー場あり。スドエスト鉄道の線路を左手に見て町の中心に向かって進むと、旧市街の南東の角にある大きなロータリーにぶつかる。車が多く渡るのが大変だった。
とりあえずレッチェ駅に行き、そこから予約してあるB&Bに5時に行くと電話をした。元のロータリーにもどり、ホテルの住所マルシェ通りの11番地をさがす。オートロックで入れない。大きなマンションの一部をB&Bにしているらしく、他の住人が出入りする。
電話で約束した人がなかなか来ないので、角のバールでカプチーノを飲んで待った。30分遅れで女性が現れ、他の客に部屋の使い方の説明をしていたので遅れた、自転車の客だとは聞いていなかったと言われた。イタリアの女性が早口でしゃべると叱られているように感じる。荷物を部屋に入れ、自転車は数件離れた邸宅の裏庭に止めた。ここも貸しているようだ。門のテンキーの番号を教わり試しに開けてみる。再びB&Bに戻ってカギの開け方について教えてもらう。台所、洗濯物干しなどたくさんのことの説明を受ける。
このB&Bは、3つのカギを開けなければ部屋までたどり着けない。ホテルでもそうだが、カギは回しても日本のように容易には開かない。何かコツがあるのだろう。
教えてもらったスーパーで買い物をして、キッチンで夕食の準備。備品など申し分のない設備のキッチンだった。おかれているシリアルや果物などは無料。屋上に小さなドラム式洗濯機や洗剤もある。物干し場も広く建物の外に張られたワイヤーにも干せた。イタリアの下町の窓辺でよく見かけるあれだ。たくさんの洗濯ばさみ。風が強いので飛ばないように注意。これまでに濡れた輪行袋などを干した。持って来た粉末の味噌汁がおいしくて、疲れが飛んだ。
レッチェ泊 Aurora B&B (朝食付き、2室)
7.白い迷宮マルティーナ・フランカ
(10月24日 レッチェ連泊 走行距離0km)
休養日で自転車走行はなし。朝6時45分に鐘の音が聞こえる。キッチンのテーブルで朝食を食べる。
今日は、予定していたイタリア最東端の町オートラントではなく、スドエスト鉄道でマルティーナ・フランカMartina Francaへ行くことにした。自転車は宿に置いたまま。駅はsfと同じで、奥の5番線。
レッチェ発 9:50 → マルティーナフランカ着 12:34 7.7€
5分遅れで発車。車両は古くて外側にペンキの落書きが。はじめは西に走りマルッジョ近くのManduriaから北上してCisternineまで上がり、それからマルティーナ・フランカに下って行くので、着くまでに時間がかかる。車窓はオリーブ畑、大ウチワサボテン、オリーブの木は枯れているものも目についた。
駅からは徒歩で、何度も人に聞きながら旧市街の入り口Piazza XX Septtembreへ登って行った。途中で、小学生たちが日本語で「こんにちは」や「あなたの名前は何ですか」と大きな声で言ってきた。海外ではまずチャイニーズかと聞かれるが、ここにはまだ中国人が来ていないのだろう。迷わず日本人とみられてしまった。門の右わきのバールでフォカッチャ、カプチーノ、ジェラート(ピスタチオ、ミルク味)で昼食。カップケーキはお店のサービス。ここでもバールの人が日本に行ったことがあると言っていた。
青空で素晴らしい天気。門をくぐるといくつもレストランがあった。バールで昼食は、はやまったか。時間的にシエスタなので、iを始めとしてどこも閉まっていて中を見学できなかった。
写真 10 白い迷宮マルティーナフランカ
帰りは、マルティーナフランカ 発15:21発 → レッチェ着18:08。
私は疲れていたので、ベッドにダウン。電車の中でも寝ていた。ほかの3人はスーパーで買い物をした後、夜のレッチェの町へ観光に行った。ライトアップされていてきれいだったそうだ。その後、ダイニングキッチンですばらしい夕食。メインディッシュはブタのカツレツ。
レッチェ連泊 オーロラB&B
8.石の芸術とアッピア街道の終点
(10月25日 レッチェ→ブリンディシ Brindisi 走行距離4km)
午前中、バロック建築あふれるレッチェの旧市街を自転車で観光した。
1774年に再建されたサン・ビアジョ門から入り、カルタペスタ(紙粘土細工)の工房、サン・マッテオ教会(前を通り過ぎただけ)、円形闘技場、サントロンツォ広場にあるローマの円柱(修復中)、サンタ・クローチェ教会(天井画がすごい、ファザードは修復中)、サン・ティレーネ教会(前を通り過ぎただけ)、ドゥオーモ(地下のたくさんの円柱があるクリプタ 入場料2€)、ドゥオーモを背にして左側にあるセミナリオ(神学校)であり博物館でもある建物の中庭のバロック彫刻で飾られた井戸を見る。
ルディエ門から旧市街を出て(交通量が多く走りにくく危ない、歩道が途切れるたびに大きな段差があり、車いすの人はどうするのだろうか)ナポリ門のところで斜め左折、サンティ・ニコロ・エ・カタルド教会(かけらしか残っていない素朴なフレスコ画がよかった)に行く。入口手前に公衆トイレあり。教会の中にもネコがいた。外の墓地には立派な建物の形をした墓石がたくさんあり、その中の一つから年を取った女性が出てきた。この教会の長いアプローチではコンテナにシクラメンの植え付けが行われていた。
レッチェのバロック建築を作っている蜂蜜色の石は、この地方で採掘されるレッチェ石という石灰岩。レッチェ石は、柔らかくて加工しやすい。
写真 11 レッチェ
見学時間を確保するために、このあとレッチェLecceからブリンディシ Brindisi までsfで輪行。
レッチェ発 12:45 → ブリンディシ着13:17
ブリンディシ駅に着くと、海沿いに旧市街をとりまく道路(車が多くて危ない)を反時計回りにホテルへ。チェックイン後、歩いて観光に出かける。ブリンディシは,アッピア街道終点の地。
ドゥオーモでは葬儀のようなものが行われていて、入るのは遠慮した。近くのレストランAcquapazzaで遅い昼食。
4時近くにレストランを出ると、コルテ・ダッシージ宮で本物の円柱頭部を見て、ホテルに帰った。昼食が遅かったので、この日の夕食はなし。
ホテルはとても質素で古く、アルバニア、ギリシャ、トルコ、クロアチア行きのフェリー乗り場の前にあり、隣はチケット売り場。このホテルはそのお客のためのかもしれない。アッピア街道の終点は今も機能し健在。
ブリンディシ泊 Hotel L’Approdo (朝食付き、2部屋)ブリンディシ駅に着くと、海沿いに旧市街をとりまく道路(車が多くて危ない)を反時計回りにホテルへ。チェックイン後、歩いて観光に出かける。ブリンディシは,アッピア街道終点の地。
ドゥオーモでは葬儀のようなものが行われていて、入るのは遠慮した。近くのレストランAcquapazzaで遅い昼食。
4時近くにレストランを出ると、コルテ・ダッシージ宮で本物の円柱頭部を見て、ホテルに帰った。昼食が遅かったので、この日の夕食はなし。
ホテルはとても質素で古く、アルバニア、ギリシャ、トルコ、クロアチア行きのフェリー乗り場の前にあり、隣はチケット売り場。このホテルはそのお客のためのかもしれない。アッピア街道の終点は今も機能し健在。
ブリンディシ泊 Hotel L’Approdo (朝食付き、2部屋)
写真 12 ブリンディシ
9. オリーブの巨木とマッセリア
(10月26日 ブリンディシ→オストゥーニ Ostuni 62km走行)
8:20ホテル出発。海沿いの眺めのいい遊歩道を走る。港には軍艦が停泊。迷いながら市街地を抜けて空港を左に見ながら海側の道を走る。空港は軍も使っているらしい。その後、車がたまにしか走らない海沿いの道を快調に走る。途中、海辺なのに、そして家影もないところの道路際に立水栓があり、その水を大きなガラス瓶で汲んでいる人がいた。聞くと、飲めるとのこと。
家はぽつぽつで、ほとんどが留守か空き家で、海にも人影はない。海はアドリア海だ。Posticedduをすぎるあたりで高速道路にぶつかる。それを越え、反対側に並行して走る道をTorre Guacetoまで走る。
写真 13 快調に走る
素晴らしい道で他の車は走っていない。ほかのサイクリストもいない。このあたりは動植物の保護区か風致地区かもしれない。
そろそろ内陸に入らなければならない。その道をiPadで探すがなかなか見つからない。いつの間にか古木のオリーブ畑をめぐるサイクリングロードに入り込んでいた。
写真 14 巨木のオリーブ畑とサイクリングロード
オリーブの古木を堪能しながら通り抜け、Carovignoの町の下に着く。スーパーでバナナ、水、オレンジを買う。外周道路を反時計回りに町の反対側に出る。再びオリーブ畑が両側にある細い田舎道へ。
道の両側は胸の高さぐらいの低い石積みの垣根。オリーブの実の機械摘みの現場に遭遇。木のまわりに網を敷き詰め、機械で幹をはさんで細かくゆすると、その上に実が落ちる。集めた実には葉やごみが混じっているので、機械でふるっていた。近くにはオリーブを絞る施設があった。
少し走り、止まって立ち食いの昼食をとっていると、ネコが1匹出てきた。パンをちぎってやるといくつも食べる。やがてもう一匹、また一匹とネコがやってきて合計4匹、親子かもしれない。マヨネーズを石垣の上に絞り出すとなめる。
予定を立てる段階で、マッセリアを訪れたいと話していた。ネットで調べておいたのがオストゥーニの駅の近くにあるので、急遽行くことに決定。
オストゥーニに近づくにつれて登りが多くなる。白い町が見えてくるまで登ったところで、マッセリア ブランカティMasseria Brancatiの方角に下って行く。線路を越え北西の方へ走ると看板が。あまり下って行くので、帰りが心配になってきた。
写真15 オストゥーニの町に近づく
マッセリアに着くと、予約しているかと聞かれ、ないというと3時からの回があるので待つように言いわれ、一人€10を払う。ここにも人なつっこいネコ。予約していた若いカップルと合流。スタッフがオリーブ畑を案内し英語で説明。ここにある木は放射性炭素年代測定によると、樹齢2000年を超すものもあるとのこと。古い木は、根元近くに貼られた小さなプレートとGPSで管理されているとのこと。古木を売るといい値段になると本に書いてあったのでこの対策かもしれない。若いカップルは1本からどれだけオリーブ油が採れるのかなどを熱心に質問していた。オリーブ畑を買うつもりだろうか。
その後、敷地内の古くて小さなプライベート礼拝堂を案内され、そこから自転車旅行中の年配のシアトルから来たカップルも加わる。次に古いドアを開けて、階段を下りて地下へ。ギリシャ時代の石で押しつぶす絞り跡、ローマ時代の石臼でひく絞り機、その後の時代のロバや馬を使った絞り跡を案内してくれた。さっき見たオリーブの木の実も、2000年前にここで絞ったのだろうか。
外に出てオリーブの試食。4種類のエキストラバージンオイルの説明。パンのかけらにオリーブオイルをしみこませたものを食べて、4つの違いを確認。違いはわずかだった。
写真を撮らせてくれと言うと、僕が入っていいかというのでもちろんと答える。彼はこれで僕は日本で有名になると喜んでいた。その後、建物の中のショップに入り、小瓶のオリーブオイルを購入、1本4€。その時、彼は、日本の雑誌「クレア」を出してきて、さっきのねじれた木のページを見せて、この時は自分はいたのだが写っていないと残念そう。このマッセリアが、雑誌に取り上げられたところだとこの時初めて知った。
写真 17 マッセリア ブランカティ
再び自転車に乗り、ゆるい坂道を登って戻り、オストゥーニの町へ。町の直下ではあまり坂が急すぎて降りて押した。F.ヴィターレ通り、O.クアランタ通りを通り、リベルタ広場に出る。iで地図をもらいオリーブの木の工房を教えてもらった。この街も迷路だった。マルティーナ・フランカほど白くないが、ここも白い迷宮。車はおどろくほど細い道に乗り入れ駐車している。
オストゥーニは地球の歩き方には載っていないが(駅から遠くアクセスが悪いせい?)マルティーナ・フランカ同様におおすすめの町だと思う。
細くて曲がりくねった道で、どこもよく似ていてなかなか予約した宿が見つからない。まさに迷宮。通りすがりの人に電話してもらって、宿の人とリベルタ広場の塔のところで待ち合わせ。
写真 18 白い迷宮オストゥーニ
キッチンも室内もとてもおしゃれで、さすがデザインのイタリアだと思ったが、使い勝手はどうなのだろうか。掃除しやすいだろうか。イタリアの人は、外から見てたいしたことがなくても中に入るとびっくりするほどおしゃれにして住んでいる。子供が喜びそうなほど狭くて中2階のある2階建て、テラスと屋上付きのこの区画が丸ごと借りられるようになっていた。隣のガレージに自転車を入れたので、一台につき5€。
キッチンの設備は申し分なく、スーパーで買い物をして夕食とした。ひょうたん型のチーズ(モッツアレラの一種か)、トマト、野菜、ズッキーニのソテー、ステーキ(硬い)。置いてあったホームメイドのケーキ、果物、冷蔵庫のヨーグルト、牛乳などはただだった。
夜に雨が降ったらしい。カテドラルがライトアップされ、屋上から見るときれいだったらしいが、ばばは熟睡。残念!
オストゥーニ泊 Arcueve Dimora con Vista(ファミリーアパートメント1部屋、長屋の中の一軒を丸ごと使う形式)
10.迷宮散歩とトルッリ
(10月27日 オストゥーニ→アルベロベッロ Alberobello 38km走行)
朝食後、歩いてカテドラルへ。バラ窓の内側は、ステンドグラスが入っていないので残念。オリーブ細工の工房は路地の奥にあったが、朝早くて閉まっていた。広場に戻り、眼下に広大なオリーブ畑がアドリア海まで続く見晴らしのいいVia F.Vitole通りを歩いた。教会の脇から旧市街の迷路なような道をたどりながら進むと、カテドラルへの道の途中に出た。
アパートに帰り休憩。ヨーグルトを食べた後、Kさんとばばは、自転車屋へ行き予備のチューブ3€とオイルを買い、ほかの二人は、ふたたびオリーブ工房へ買い物に。Kさんの自転車は水につかってから変な音がしていたが、油をたっぷり注すとなおった。
11時にアパートの鍵を閉め出発。道幅が狭い、歩道の段差が大きい、道の端にびっしり車が止まっているなどで、町を出るまでは走りにくい。だが、このツーリングでは、車は自転車を見ると止まり譲ってくれるのでありがたかった。
ゆるいアップダウンを繰り返しオリーブ畑などのある田舎道をシステルニーニョCisterninoに向かって走る。オストゥーニの町は裏側からはそれほどきれいには見えない。美しいのは海側から見た場合だけ。時速50㎞制限なのにビュンビュン車は走っていく。システルニーニョを右に見てさらにロコロトンドLocorotondoを左に見て進む。どちらの町も丘の上。オリーブの木は少なくなる。トルッリがところどころにあり、手入れをして家とつないで使っているような家もあった。
途中、オリーブ畑の道端でパン、オレンジ、柿の立ち食いの昼食。Kさんの自転車がパンク。
15:00にアルベロベッロに到着。標高は415mとあるが、オストゥーニほどのきつい登りはなく拍子抜け。
カヴール通り、マルゲリータ通りを通って2本の鐘楼が立つParrocchia Santuario – Basilica S.S. Cosma E Damiano教会前のフロントデスクへ。だが、閉まっていて引越しの張り紙。教会(なぜかキリストの磔刑の絵が多かった)を見学後、バールで休憩。新しいフロントデスクの住所をiPadで検索して出発。
女性スタッフに案内されて、今晩泊まるトルッリに案内してもらう。いったん部屋に入り落ち着いてから出かけ、角の八百屋とスーパーで今夜の食材を買う。八百屋では、洋ナシ、トマト、白ワイン、ニンニク、柿を、スーパーでは、チーズ、水、スパゲッティ、串に刺した肉ミックス、パン、ジャムを買う。
キッチンは電気コンロで、久しぶりに普通のスパゲッティを作ってみんなで食べた。テーブルは天板が折りたたみ式で、Kさんはその仕組みを見て創作意欲をかきたてたようだ。洗面所には白いはしご型の乾燥機があり、室内のエアコンも快適に運転。今回のツーリングで初めて温まった。部屋が温まり洗濯ものの乾燥もすすんだ。 夜半、雨の音を聞く。大雨。中庭に自転車を置いてあったので、部屋の中に入れた。
写真 17 トルッリ
アルベロベッロ泊 Trulli Holiday (朝食付き、2軒、キッチン付きのトゥルッリ)
11.小雨の中の走行
(10月28日 アルベロベッロ→バーリBari 35km走行)
7時に、指定のバールのようなレストランで朝食。雨がぽつぽつ。歩いてリオーネモンテ地区のトルッリ (trulli)を見ながら、サンタントニオ教会まで往復。「陽子の店」という土産物屋の呼び込みで、眺めがいいと言われ屋上まで上がる。もうじき日本人の団体が来る(つまり混みあう)と言われ、つい土産を買ってしまった。ドライトマトは中国製が多く、この店のものは本物のマルツアーノ種と陽子さんは言う。確かに、早朝から日本人の団体客が歩いていて、これまでと違って日本人がぐっと増えた。
チェックアウト時に、宿泊税を払った。雨対策をして出発。
真っすぐな道路S172でプティニャーノPutignanoまで行き(車がすごいスピードで走る)、そこから右に曲がり、田舎道に入りカステッラーナ グロッテ Castellana Grotteの町へ。バールで休憩、トイレ。ポリニャーノ A マーレ Polignanoまで走る。ずっと雨、追い風、下り坂。松並木の道、畑、マッセリアが目に入る田舎道。天気が良ければゆっくりいい景色が楽しめたのに。Polignano駅のホームで持っていたパンを食べ昼食とした。
ポリニャーノは、海岸の断崖の上の美しい町で有名。走って見たかったが雨であきらめそのままsfの電車に乗ることにした。
ポリニャーノ発 13:29 → バーリ着 14:00
写真 18 ポリニャーノへ
チェックインして荷物を部屋に入れ、自転車でバーリ観光。雨はやんでいた。カテドラーレ、サン・ニコラ教会、ノルマンの城をめぐり、旧市街を通り抜けてホテルに帰る。ノルマンの城は9€だったので入らなかった。
自転車はホテルの前で軽く解体して袋に入れ部屋に持ち込む。その後8時まで部屋でパッキングとシャワー。フロントで郷土料理が食べられるレストランを教えてもらったら、ホテルの奥の方を手でしめされ、それはホテルのレストランだった。ここで夕食となるが、メニューの選択肢が3つしかなかった。いいレストランに入りたければ事前に調べておいた方がいい。ポリニャーノ A マーレの駅で出会った日本人夫婦も来ていた。明日はアルベロベッロに行くそうだ。
12.帰路
(10月29日 バーリ→成田 走行距離0km)
前日、8:30で予約しておいた2台のタクシーで空港へ。うっかりローマといったので、ずっとドライバーから、このままタクシーでローマに行くとからかわれ続けた。はらはらするような離れ業のしかも高速の運転で市街地を抜けた。1台40€ チップ各5€
バーリ発 11:10 AZ1612便 ローマ着 12:15
ローマ乗り継ぎ 14:55発 AZ784便 成田11:10着(翌30日着)
バーリ空港でも輪行袋の計量はなかった。乗り継ぎ便は2時間ほど遅れて離陸。少し遅れて成田着。着いた成田の気温は南イタリアとあまり変わらなかった。
13.あとがき
南イタリアに行ってきたというと、ナポリですか?アマルフィ?ですかとよく聞かれた。いえそうじゃなくてもっと南の方の・・・と、このエリアを説明するのはむずかしい。
この地域はローマから遠く離れていても、歴史と文化はどの町でも深く、さすがイタリアだと思い知らされた旅だった。
今回のツーリングは輪行する距離が長かった。いつもの走り方で長靴のかかとの部分を回ろうとすると、あと3~4日は必要なので、何度も電車を利用したのはやむを得なかったと思う。
今回は、予約した宿に泊まれなかったり、異常気象で道路が水没したり、やっとのことで乗った電車から降ろされたりと、おもいがけない困難が次々と起こったが、こんな経験は初めてだった。何とか対処できたが、そのおかげで自転車旅力(じてんしゃたびりょく)?が付いてしまった。旅はやっぱりプチ冒険だ。そして年をとっても冒険は楽しい。