ル・ピュイからの巡礼道とミディ運河ツーリング

ル・ピュイからの巡礼道 

2019年 ル・ピュイからの巡礼道とミディ運河ツーリング

 2019年10月7日~19日、60~70歳はじめの男性1人、女性4人で、フランスのル・ピュイ(Le Puy-en-Velay)を起点とするサンティアゴ・デ・コンポステラまでの巡礼道(ル・ピュイの道)が美しく、その途上にあるコンク(Conques)も訪れてみたいということで、前半は巡礼道をル・ピュイからからフィジャックFigeacまで走り、後半は1日だけミディ運河をトゥールーズからたどることにした。

出発前の準備

 多くの巡礼は、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからピレネーを越えて歩き始めるので、そこからのガイドブックは豊富にあるが、フランス国内の巡礼道の情報がなく、5月11日に日本サンチャゴ巡礼協会友の会の説明会(馬喰横山、有料)に行って話を聞いてきた。
 リヨンに住んでいる人から、10月にコンクに行ったら雪だったことと、都市部は自転車の盗難が多いとの情報を得た。

ガイドブックと地図: 地図はミシュラン525 Midi-Pyrénées 20万分の一が、今回走った巡礼道のかなりの部分をカバーしている。巡礼道のガイドブックはいろいろあり、「THE WAY OF JAMES A CYCLISTS’ GUIDE」CICERONE刊 19.95€は、リュ・プイからサンチャゴ・コンポステラ(Santiago de Compostela)まで自転車で走った記録が英語で詳しく書かれていて、コンパクトで役に立った。また「Miam Miam Dodo Le Guide」 Section 1 Le Puy en Velay/ Cahors Chemin de Compostelle GR 65」は歩きのガイドブックだが役に立った。GR65は巡礼道の番号で、フランス国内には他にもたくさんの巡礼道があり、それぞれに番号がつけられている。この番号のついた赤と白の2本線の標識(小さい)を、曲がり角などで見かけた。ガイドブックは、出発地のル・ピュイでは探さなかったのでわからないが、途中のオーモン・オーブラック(Aumont-aubrac)のミニスーパーの片隅で何種類か見た。

 ミディMidi運河のサイクリングロードのガイドブックも各種ある。「Le Canal du Midi à vélo deToulouse à l’étang de Thau」OUEST-FRANCE刊14.90€ と bikeline Canal du Midiを入手。bikelineの地図のほうが、使い慣れているせいもあるが優れているように思える。ドイツ語で書かれているが、地図を見るだけなら問題はない。
(参考までに、トゥールーズから反対にボルドー(ビスケー湾)に向かって流れるのはガロンヌ運河で、こちらの方にもサイクリングロードがあり、両方つないで走れば、とりあえず大西洋から地中海までフランスを自転車で横断したことになる)
 調べているうちに、ル・ピュイから巡礼道上にある次の宿泊予定地オーモンオーブラックまでの70㎞の間に、標高差500mの峠が2つあることがわかったので、これを避けて電車を使うことにした。そこで「乗り換え案内」でオーモン・オーブラックまでを入力すると、使える電車は1日1本だけ。そして、時刻表の中にCar TERという記載がある。文字のわきにバスのアイコンがあるので電車の代わりにバスを走らせるのだろうが、この便に自転車は裸で載せられるのか?袋に入れなければならないのか? 以前、プロヴァンスで、裸でバスのお腹に載せてもらったことがあるが、あれだろうか。ともあれCar TERは何とか理解できるが、車のアイコンのわきにVoiture(自動車)と書かれたものもある。車なら、電車の時刻表の中になぜ書かれているの?? 小型のシャトルバスのようなものだろうか。
 この一日1本しかない電車をあてにするのは危険だ。しかし、このCar TERに自転車が載せられれば時間に余裕ができる。出発直前になって、リヨン空港のお迎えのガイドさん(日本人の女性)の電話番号がわかり、このことについて問い合わせ、結果をメールしてもらった。やはり袋に入れなければならないとのこと。その時に、ル・ピュイからオーモン・オーブラックまでタクシーを使うとすると、そんな長距離を走ってくれるのか、大型のタクシーはあるのか、料金はいくらくらいかも調べてくれるように頼んだ。時間も迫っていたので、返事はリヨンで会ったときに聞くことにした。
 自転車の運搬: ANAは、パッキングした状態で縦横高さの計が290㎝、23㎏まで別料金なしだったが、乗り継ぎのエールフランスが、このサイズでは大きすぎるとのことでできるだけ小さくした。ANA、AFとも行きは別料金なし。
 自宅から空港まで、去年まではJAL abc で頼んでいたが、今回は箱に入れないと自転車は運んでくれないことがわかりあわてる。QLライナーは(50kgまで、合計サイズは260cmまで)、箱に入れなくてもいいとのこと。結局、5人ともQLライナーを使った。現在(2022年)はそれもだめで、各自で空港まで運んでいる。

ルピュイからオーモンオーブラックまでにある峠
オーモンオーブラック周辺の鉄道路線図     オーモンオーブラックへは一日一便

1. 最初の晩はリヨン

(2019年10月7日   羽田→リヨンLyon)

羽田空港8時30分集合。

WiFi(ビジョングローバルWi-Fi)をレンタルする。13日間で15,470円。

羽田⇒パリ           NH215 11:45→17:10

パリ⇒リヨン         AF7648 21:20→22:30

  リヨンの空港で荷物を受け取ると時間は23時を過ぎていた。深夜なので送迎を頼んでおいたが、車とガイド(フランスでは送迎にはガイドが付かなければいけない決まり)で10万円。人気のない空港の薄暗い建物の中を、カートを押してガイドの案内でかなり歩く。駐車場で待っていた車は、たった5人なのになんと大型バス!ホテルの前は道路工事中で50mぐらい手前までしか行けず、そこから重い自転車の袋を二人がかりでホテルまで運んだ。
 ガイドさんは、電話でル・ピュイのタクシー運転手に問い合わせてくれ、オーモン・オーブラックまで納得のいく値段で行ってもらえることになった。日付が変わってもガイドさんは丁寧に対応してくれた。あさってル・ピュイからオーモン・オーブラックまで、一日がかりで1日1本の電車で移動する予定だったが、タクシーに乗って2時間ほどで移動できることになってゆとりができたので、明日の午前中、リヨンの観光ができることになった。
 送迎は高額なので出発前には頼むかどうか迷っていたが、大きな問題が解決して、さらにリヨンの町を見ることができ、頼んで正解だった。                                    

リヨン泊  ホテル Premiere Classe Lyon Centre

2.ふたつの町の観光

(10月08日 リヨン→ルピュイ 輪行)

後ろは星の王子様

 ホテルにて自転車組み立て、荷物はホテルで預かってもらい、自転車でリヨン観光に出発。まず駅に立ち寄り、ル・ピュイまでの切符を買い(5人で98.5€)時刻を確かめる。リヨン・パール・ビュー駅前は再開発で大規模な工事中。切符売りの窓口の人は、なんと片言の日本語が話せ、奥さんは日本語の勉強中とのこと。ネットのSNCFの「乗り換え案内」と実際のダイヤは違っていた。また、走っているのはすべてTERで、心配していたCar TERではないことがわかった。乗り換え案内が違っているなんて!何を頼りに旅をしたらいいのだろうか。駅に置いてある持ち帰ることができる小さな時刻表は夏期用だと彼は言っていたが、それに気づくのは難しい。
 朝食がまだなので、旧市街に行く途中で食べることに。地図で市場を見つけ、いつも市場があると立ち寄ることにしているので行ってみた。それはポール ボキューズ市場。その向かいのパン屋で朝ご飯。自転車番が必要なので交代で市場見学に行く。日本でもPAULのパン屋があちこちにあるが、あの創始者(Paul Bocuse;リヨン生まれ、50年間三ツ星を維持のシェフ、有名な鋳物鍋)の名前の付いた市場。美食の町リヨンといわれるだけあって、この市場は普通の市場ではなく、スイーツに魚介にチーズにハムに・・・高級デパ地下のようだ。フードスタンドで生ガキを食べている中国人らしい人たちを見たが、他には誰も座っていなかった。市場全体では人影はまばら。一般の人は食品をどこで買うのだろうかと思っていたら、川沿いに青空市場を見かけ、ちょっとほっとした。
 高級市場の後、ローヌ川とソーヌ川を渡って、旧市街へ。天気も良く、川からの街並みが素晴らしい。リヨンは美しい街だ。サンジャン大聖堂を見学、自転車を引いて路地めぐり、ガダニュ博物館は定休日、旧市街の端のサンポール教会まで行ってもどる。観光客が多い。ソーヌ川にかかる歩行者専用の橋を渡り川沿いに、ベルクール広場に行く。広場の中をぐるぐる回りようやく隅っこにあるサンテグジュペリ像を見つけた。彼はリヨン生まれ。
 電車の時間が迫っていたので、いそいでホテルにもどり荷物を受け取り駅へ。   

リヨン発13:5? → 14:26  ST. ETIENNE CHATEAUCREUX乗り換え

15:00?→ルピュイ着16:20ST.
 

 ETIENNE CHATEAUCREUXでの乗り継ぎ時間に、待合室にあったPAULのバールでパンとコーヒーのお昼。
 電車がル・ピュイに近づくと山間の景色に。駅直前で、タワーのように突き出た丘の上の赤いマリア像が見えた。ホテルは駅の目の前。自転車は地下の駐車場に。チェックイン後、歩いて旧市街(Centre Historique)の観光へ。

フランスの巡礼道
スペインの巡礼道
Créanciale スタンプを押してもらう

   

    

 
 カテドラル(Cloître et Ensemble Cathédral)でクレデンシャル(フランスではCréanciale、巡礼地まで通過したところのホテルやバールで押してもらうスタンプ帳。サンティアゴ・デ・コンポステラではこれを見せると巡礼証明書がもらえる)の入手方法を修道女に教えてもらう。中に入れなかったが、明日の朝、巡礼者のためのミサが行われ、その時にクレデンシャルが買えるとのこと。サンチャゴ・デ・コンポステラまでの長い巡礼道1,552㎞がここから始まる。日の当たらない曲がりくねった狭い路地を、標識に従って少したどってみる。巡礼道の標識は、スペインで見た黄色い矢印や貝殻マークではなかった。
 旧市街は南西に面した斜面に広がり、カテドラルはその最も高いところにある。駅からは旧市街のどこへいくにも基本的に登りの坂道。
 ル・ピュイ泊  ホテル ibis budget

3.自転車を積んでタクシーで移動

この間をタクシーで移動

(10月9日 リュ・プイ見学後、オーモン・オーブラックAumont-aubracへ) 

 朝、ばばを除く4人がリュ・プイのカテドラルへ行き、ミサに出て、クレデンシャルを入手。
 タクシー2台、ホテルに来てもらい、町の北にあるサン・ミシェルの登り口に行ってもらう。サン=ミシェル・デギュイユ礼拝堂 Église Saint-Michel d’Aiguilhe は、10世紀半ばに、高さ82メートルのサン・ミシェル岩山の頂に建てられ、中には、大天使 ミカエル(フランス語でサン・ミシェル)の像がある。
 小雨の中、高校生の団体と後先になりながら、細長く立つ岩山の周りにら作られたらせん状の道を登りてっぺんへ。街を一望。巡礼道はどのあたりに続いているのだろうか。
 ロマネスクの小さな礼拝堂が、この岩山の狭いてっぺんに鉛筆のキャップのように乗っている。内部の壁に消えかけたフレスコ画。昨年のマテーラの「原罪のクリプタ」を思い出す。威圧的なゴシックとは違い、ロマネスクは素朴でほっとする。
 赤いマリア像の立っている丘とこの丘は、タワーのように突き出ているが、どちらも火山が浸食されたもの。フランスに火山があったなんて意外だった。
 徒歩でホテルに戻る途中、ボビンレースづくりの工房へ昼休みの12時ぎりぎりに滑り込んだ。実際に作る(日本の組みひもの平らなバージョン?)ところを見せてもらった。肖像画で見る貴族の襟元を飾る豪華なレースはこれだったのだ。見学後、近くの広場に面したレストランで昼食。
 オーモン・オーブラックまで乗るタクシーは、2時に来てもらうことになっていた。ホテルに戻り、ペダルを外して待つ。ペダルはつけたままだと、隣に置いた自転車のスポークをひっかけるし、また外せば自転車の幅が細くなりたくさん積める。
 ドライバーは、ベンツのタクシー(自分の)に乗って私たちの自転車や荷物の量を見に来た。いったん戻り、大きなベンツのワゴン車でふたたびやってきた。後ろのスペースに、自転車は斜めに立てて5台が問題なく載り、隙間に荷物を入れた。
 ドライバーは陽気な人でよくしゃべり、このあたりの自然が好きとのこと。アップダウンのある山道で、人家もすれ違う車もめったになく、秋の雑木林や岩の壁や沢のふちをたどる。増富ラジウム鉱泉に行く道に似ている、ここは蔵王スカイラインだ、奥多摩に似ていると言いってみたりして車中を過ごす。ここを自転車で走るとなると大変だ。改めて納得する。約70㎞を2時間ほどで、ネットで予約しておいたオーモン・オーブラックのB&Bに着いた。料金は260€。
 近くには、キャンピングカーが止められる公園やトイレがあり、子供連れで来る素朴なリゾート地。夕食は近くのレストランでとるように言われた。このB&Bの裏手の建物は、自炊をする巡礼者の宿舎になっていたが人影はなかった。自転車は裏にある玄関の広いロビーに。客は少ない。  
 夕食前にあたりを散歩。町は小さくひっそりしていた。小さなスーパーに入り、明日の行動食を買う。日本を出発する前に、電車で行けるかどうか散々苦労した、少しうらめしいあのオーモン・オーブラック駅に行ってみた。さびしい無人駅。明日から走る道の確認もした。
 夕食に出かけるころにはすっかり暗くなっていた。この地方の名物料理のアリゴやトリッパを注文。アリゴはマッシュポテトとチーズを練ったもの?で、見かけはおろした長芋に似ている。私たちの口にはどうも・・・ (5人で62.5€)

オーモン・オーブラック泊 B&B  La Ferme de I`Aubrac (5人、3部屋 207€)

 

4.  ゆるやかに300m登ってオーブラックへ

(10月10日 オーモン・オーブラック~オーブラックAubrac 33㎞走行)

 9:10 ホテル発。天気よし。牧場、林などが広がる気持ちのいいD987を、マルブーゾンMalbouzon(10:30着 Barで休憩。冷えた体に温かいホットチョコレートがおいしい。5人で12.5€ 10:55発), ナスビナルNasbinals(12:50着 昼食を教会わきの大きなレストランで。牛肉とアリゴ、62.5€ 店は混んでいた。隣は保育園で小さな子供たちの食事もここで出しているようだった 14:00発)を経由してオーブラックへ。今回、ホテルの室内で履くサンダルを忘れてきたので、ナスビナルの雑貨屋で買う。
 ほどほどのアップダウンあり。歩きの巡礼道G65が、所々でばばたちが走るD987を横切る。交通量の少ない緩やかな登り。道端の小さな祠、キノコ、ハヤブサ、カササギ、マロニエの木が多い。雑木林と放牧地がまだらに。牛、馬、羊、雄大な眺め。なんと広いのだろうか。人家はない。到着直前に、今回のツーリングの最高地点の峠(1,340m)があり、ほどなくオーブラックに。15:00着
 だが、この日の宿は、もっと先の標高差500mほど下ったSt-Chély-d’Aubracだとどういうわけか勘違いをしていた。開いているBarを見つけ前まで行ったところで、ここが予約してある宿だと気が付いた。危ないところだった。このあたりには何々オーブラックという地名がたくさんある。日本でいえば、武蔵何々といったところか。オーブラックは見たところ十数件あまりの静かな集落。自転車はホテルの裏の倉庫に。
 古い使われてない教会の先にビジターセンターがあった。このあたりの草花が植えられた庭があり、中ではこの地方の伝統的な建物や春に牛の体に花飾りをつけてパレードするお祭りなどのVTRが見られるようになっていて、お茶も飲めてお土産も並んでいた。人は少なく、テラスからは、広大な丘陵の牧草地が見渡せて気持ちがよかった。閉館時間が近づき、もっといたかったが残念。思いがけない体験ができた。
 そういえば、盛岡のチャグチャグ馬っこも、家畜に飾りをつけてのパレードだ。出るころには、夕暮れがあたりに迫っていた。
 出発前に調べておいたレストランを探すが、見当たらない。それどころかあたりには人影もない。歩いていくと人家がつきて、あきらめて戻る。
 ホテルのそばの広場には犬がいて、猫もいて、窓から子猫が顔を出していた。ほしいなら日本に持って帰っていいと出てきた人に言われたりして、しばらく遊ぶ。

写真 1 オーブラック

 ホテルは古くて素敵だった。部屋の窓から何匹もの猫の姿が見えた。猫が悠々と歩いている町はいい人が住んでいると何かで読んだことがある。夕食は、このホテルの大きな暖炉が燃えているレストランで。ほかに2組の客がいた。

オーブラック泊  Hotel de la Domeri (5人、3部屋 204€ )

5. 朝のひかりの中の下り

(10月11日 オーブラック~エスタンEstaing 46㎞走行)

ホテルの前

 ホテルを 9:20 発。いい天気。D987に沿って、朝のひかりの中をぐんぐんただただ下る。斜度8%、風が冷たく体が冷えて寒い。コームドルトSt. Côme-d‘Oltの村までの20㎞強の距離を、ブレーキをかけ続ける。リムが熱い。路面に凍っているところがあり危ない。どこまでも続く牧草地、雄大な眺め。トスカーナよりも視界は広い。素晴らしい。この巡礼道がいいとの評判は、この風景のことだろう。
 フランスは農業国だと学校で習ったが、納得する風景。よく見ると、牧草地のあちこちに岩が見えていて、土壌が薄そう。このくらいの標高なら日本では畑にして高原野菜を作っている。
 14㎞走ってソーギュSalguesの教会前で休憩。さらに下ると、眼下にサン・コームドルトSt. Côme-d‘Olt(標高385m)が見えてきた。出発からここまで、1,000m弱下ってきた。車はたまに通るぐらいだった。10:30到着。この村が、「美しい村」だとは知らなかった。目を引くねじれた屋根の教会の尖塔は15世紀のもの。観光客の姿もほとんどなく静かな町。役場らしいオフィスも歴史的建造物の中にあり、お手洗いを借りる。 
 ここもひっそりとしている。Barの外のテーブル席で秋の日を浴びてお茶休憩。朝からここまでとは違い、暑いくらいだった。  おととしプロヴァンスの「美しい村」ゴルドに行ったとき、遠くから見るとこじんまり斜面に広がる確かに美しい村だったが、中に入ってみると観光客であふれていて、大型バスで団体客も来ていた。あまりの騒々しさに、早々に後にした記憶がある。この時は、さらに走ると2つの「美しい村」があったが、そのうちの一つは観光客には公開していなかった。
 フランス中で158もの美しい村があるのだから、私たちのようなツーリングをしていると予期せず出会う。事前にチェックして目指すよりも、「おや、そうだったの」と出会った方がうれしいし、ガイドブックに取り上げられない村の方が静かでいい。

写真 2 下り坂
Espalion ロト川にかかるローマ時代の橋
 Estaing ロト川とエスタン城

 D987の交通量が多いので、ここからはロト川の左岸をEspalionに向かって走った。この町で昼食のためのレストランを探すが、昼過ぎのせいか、何件も断られなかなか見つからない。ようやく道端の店に入ることができ、鴨のハンバーガーセットなどを食べた。85€ 
 St. Côme-d‘Olt,  Espalion,  Estaingは、ただロト川沿いの巡礼道に3つ並んだ町としか認識していなかったが、昼食をとったEspalionは交通の要所で経済活動の盛んな普通の町。ほかの2つは、「美しい村」だった。
 昼食後、エスタン(Estaing)へ。が、左岸を標識に沿って走るとやがて家並がつきて狭い山道のオフロードとなった。歩きの巡礼道に入り込んでしまったのだ。荷物を付けた重い自転車を力ずくで押し上げ、ようやく車道に出た。林の中の気持ちのいい道をしばらく走るとエスタンに着く。橋を渡って対岸のエスタン城へ。
 この城は、元フランス大統領ディスカールデエスタンの奥さんのもの。城と向き合って教会もある。城のトイレがきれいだった。・・・ということは、大統領は婿養子?そういえば、スペインの巡礼道を走った時に立ち寄ったハビエル城は、フランチェスコザビエルのお母さんが持って嫁いできたものだった。家つき娘ならぬ城つき娘。こちらでは珍しい話ではないのかもしれない。
 小さな食料品店で夕食の材料を買う。€17.5 ネットで予約したB&Bまでは、曲がりくねったきつい登りの山道。Kさんにあと少しと励まされる。最後は降りて押した。途中、栗拾いの人が脇の山から道へ出てきた。この時期、この辺りは栗のシーズン。山のあちこちに栗の木が見える。 
 めざすB&Bは、山の切り開いた斜面に数軒の農家に交じって建っていた。新しく素朴だがおしゃれで、建築雑誌に載るような建物。自転車は別棟の軒下に。テラスでマダムからウェルカムドリンクをいただく。
 登ってきただけあって眺めも良く、ふもとのエスタンの町が小さく見える。部屋の入り口はどれも外に面している。らせん階段を上って部屋へ。中ももちろんおしゃれ。シャワーで服を脱ぐところはついたてがあるだけ。鍵がうまくかからないので、マダムに言うと「このあたりには泥棒はいない。いるのは牝牛だけ」といわれた。
 夕食は、設備の充実した自炊用のキッチンで、Kシェフが腕を振るう。レストランで食べたいなら、ふもとまで送迎してくれるそうだ。ここは、おすすめの宿だ。

エスタン泊 B&B Chambres d’hotes le clos marty (5人3部屋 226.5€ )

6.  初秋のロト川をたどってコンクへ

(10月12日    エスタン~コンク(Conques) 52.5㎞走行)

 朝食も素敵だった。9:10出発。エスタンの町まで道に落ちているドングリをはじきながら下る。昨日あんなに苦労して登った坂も、下りは一瞬。天気は曇り。 
 ロト川の右岸のD920をオントライユEntrayguesまで17㎞走る10:50着。この谷あいの川沿いの道は、止まって眺めたくなるようないい景色が次々と現れる。ガイドブックには「見とれてはいけない、対向車に注意」と書いてあった。交通量は多くなく、アップダウンもほとんどなく快調に走る。川に滑り落ちそうな草やぶの中にChapel de Dolと書かれた、長く人の手の入った形跡のない小さな小さな礼拝堂があった。
 オントライユに着くと、Barでお茶とトイレ。途中で食べる昼食を買いに川を渡った高台のスーパーへ。6.15€ 

 この町でロト川は西に折れ、道もD920から分かれ、川に沿ったD107に入らなければならないのだが、その分岐がどこなのか、スーパーに来ている人に聞いてもわからなかった。あちこち探したが、分岐はオントライユの町をほとんど通り抜けたところにあった。D107では数えるほどしか車に出会わなかった。静かな林の中の道で、アップダウンもなく快調。たまにポツンと民家、見上げると斜面にポツンと1軒。別荘だろうか。
 途中に、林を切り開いて作ったカヌー乗り場があった13:00着。シーズンオフなので建物の中にも外にもだれもいない。川辺にピクニック用のイスとテーブルがあり、そこで昼食のサンドイッチや果物を食べた。トイレが一列にたくさん並んでいたが、シーズンはにぎわうのだろう。 13:30発。Vieillevieを経て、左折して橋を渡り14:15(オントライユからここまで29㎞)D901に入りコンクへ。コンクのふもとまでの7.5㎞はなだらかな登り道。交通量は多くない。途中のグランヴァブルGrand VabreのBarでコーラを注文しトイレを借りる。
 コンクは、D901の左側の高台にある。ふもとと上のコンクの村に駐車場があり、遠回りだが村に登っていく自動車道もある。それ以外の古くからある石畳は急なので、自転車を押して上るにはかなりの苦労がある。
 ネットで予約したホテルはD901沿いにあるはずなのだが、見つからない。人に聞くとあそこだと教えてくれるのだが、それでもわからない。何回か行ったり来たりするうちに、道に面した建物の小さなドアが開いて人の姿が見えた。聞くとここがそうで、入り口はぐるりと回った裏側とのこと。笹の垣根の道をたどるとホテルの入口へ。どこにもムーランという表示がない。建物は元水車小屋とのことで、太い木組みでがっしりとしたつくりになっていたが、部屋の内装やインテリアはかなりモダンだった。自転車はホテルの人が保管場所に運んでくれた。
 巡礼道GR65は、コンクの村を東から西に貫き、バリー門(Porte de barry)から出て、橋(Pont romain)を渡り、サンチャゴに向かう。
 ホテルで案内図をもらって、コンクの村へ。日本語で書かれたものもあった。夕食は、オーベルジュ・サンジャックで。124.1€ ここは、コンクの宿を予約するときにいっぱいで泊まれなかったところだ。
 コンクには宿が少ないように思える。多くの人は、どこか別の町に泊まって車で訪れるのだろう。不思議なことに、この村を歩き回ったが食料品や生活雑貨を売っている店が見当たらなかった。
 暗くなって、教会では夜のミサ行われた。しばらくいたが、オルガン曲がグリーンスリーブスになったので、外に出て石垣に腰かけてみんなが出てくるのを待った。空気が澄んで、月がきれいだった。

コンク泊  Hotel Moulin de Conques-Restaurant Herve Busset(3部屋、2泊で1,440€)

写真 3 コンクの巡礼道

7.  終日コンク観光

(10月13日  自転車走行なし  コンク連泊)                 

昼食はそばのクレープ

 金と宝石で作られた聖女サンフォア(S’ Foy)の像のある宝物館の見学 €6.5 昼食は教会近くの店で、そばクレープと飲み物で€67。 
 観光客が拾った栗の山が石垣の上などにある。あちこちにきれいな栗が落ちているので、持って帰れないのはわかっているけれど、ばばも拾ってしまった。そういえば、栗のイガはなぜか記憶がない。
 鉄の門(Porte de fer)をくぐって山道を歩き、村の対岸にある眺めのいい所へ行く。天気は最高。日本に電話をかけると、台風で大きな被害が出ていて、多摩川もあふれたことを知る。
 何度も往復しているので慣れてしまった石畳の道をホテルに向かって下っていると、いきなり脇の民家の庭から男の人が出てきた。英語はできるかと聞いてきて、ラグビーで日本が勝っていると興奮気味に教えてくれた。 
 夕食は泊まったホテルのレストランで。セットメニュー @€65 ワイン1本€40 水€7 ガイドブックでは、ミシュランの星が一つ付いている。他にお客が数組。

コンク連泊  Hotel Moulin de Conques-Restaurant Herve Busset

写真 4 コンク


8.  ながめのいい巡礼道

(10月14日 コンク~フジャックFigeac 44.4㎞走行)

 天気予報で雨が降るかもしれないとのことだったので、できるだけ早く出発することにした。ホテルが作ってくれた朝食用のお弁当(リンゴとパン)をもって @5€、薄暗い中、7:55出発。
 おとといの分岐まで戻り、橋を渡って左折。ここから道はD42となる。平坦な川沿いの道を快調に走る。車は1台だけ見た。道路工事で通行止めの表示があったが、その場所は問題なく通れた。菊とトマトのハウスがあった。Port d’ Agrésのあたりまで来ると(9:10)林がなくなり、公園のピクニックテーブルで朝食を食べる。山の端から太陽が出てきた。歩きの巡礼道は、この道路の南側の丘陵の村々をたどっている。
 D963を横切り川沿いの田舎道を(標識を見ると、このあたりにはサイクリングロードが何本かある)Flagnacの近くまで走り、D21にはいる。この道は、ロト川の河岸段丘の上に出る長い急な登り。
 標高差約200mを何とか登り切り、Montredonへ。ここにはお茶が飲めるようなところがあると期待したが、丘の上の静かな小さな村で店どころか人影がまったくない。
 が、巡礼者のための小さなコーナーが(四国八十八か所でいうところのお接待)教会の後ろにあった。無人。熱いお茶が飲めてお茶菓子もある。近くには飲める水くみ場もあった。11時の教会の鐘が鳴る。ここまでで朝から28.4㎞走った。
 次の村を目指したが、St-Férixは道沿いに建物すらない。強い風に流されそうになりながら、小さな林、放牧地などの間を抜け、ゆるいアップダウンを繰り返し、まだ着かないのかと思った頃に、ようやくSt’ Jean Mirabelに12:15に着いた。昼食を食べるBarがあると期待したが、ここも人っ子一人いない。建物がちらほら。バス停(スクールバス?)で持っていたビスケットを食べる。クルミの木がそばにあり、落ちていたクルミを足で割って食べた。バス停の前は牛舎。食べたり休んだりするところがこんなにないのでは、歩き巡礼のための接待所が必要。悪天候の時は危ない。だからMontredonにあったのだ。
 私たちの走ったのは自動車道路で、歩き巡礼道はそのそばのなだらかな丘陵の牧草地の間をくねくねと続いている。巡礼でこのあたりを歩くのは気持ちがいいだろう。

写真 5 巡礼道に沿ってフィジャックへ

 お腹がすいたまま走り始め、まもなく急な下りが始まり、交通量も増えフィジャックへ。ル・ピュイからここまでは田舎の小さな村ばかりだったので、この町が都会に見えた。久々の信号機。
 フィジャックの旧市街は、セレ川(Le Célé)の北側の斜面にある。とりあえずネットで予約したホテルへ。13:30着。チェックインするには時間が早すぎた。オーナー夫婦は前庭でお昼を食べているところだった。小さな古い建物だが、おしゃれに手入れされている。ご主人が食事を中断して対応してくれた。自転車は、数軒隣の扉付きのガレージに。荷物を預け観光地図をもらって出発。まずは昼食と思って店を探すが、時間が遅すぎて見つからなかった。シャンポリオン広場でお茶とビール。12.1€ 目玉のロゼッタストーンのシャンポリオン博物館(musée Champollion)は休館日。
 地図に載っている名所をぶらぶらたどった。14世紀の歴史的建物で今は高級ホテルHôtel médiévalに入り、坂道と階段でノートルダムドピュイ教会、そこから城壁の外に出る。ホームセンターがあり鉢花が並び、広い道とひらけた普通の街が広がる。改めて城壁内の街並みが狭くてとても古いことに気づく。ガイドブックには、12~14世紀の街並みがよく保存されていると書かれている。日本はそのころは鎌倉時代。旧市街に戻るために、城壁の切れ目を探しながら反時計回りに歩くと、ジグザグの大きな階段が見つかる。そこを降りると旧市街。観光案内所に寄り、スーパーで夕食のための食材を購入。45€ ホテルの部屋で恒例の秘密のパーティー。
 宿のマダムから、フィジャックの駅が火災にあっていることを教えてもらった。そして、運行や自転車について電話で問い合わせてくれ、カプデナックCapdenacから乗るように言われた。が、そのカプデナックが地図でなかなか見つからなく、散々探してようやく隣の駅であることがわかった。

フィジャック泊  Hôtel Le Quatorze  (3部屋5人、354.5€)

写真 6 フィジャック


9. トゥールーズへ

(10月15日 フィジャック~トゥールーズ(Touloouse)へ輪行 8.4㎞)

当初は、フィジャックからトゥールーズまで輪行の予定だったが、そんなわけでカプデナックまで8.4㎞を走行したあと輪行となった。
 朝食はマダムのセンスと気配りがあふれていて、気持ちよくすてきだった。手作りのカリンのジャムを勧められた。小雨の中を、前日定休日だったシャンポリオン博物館へ。€5 
 小学校の団体が来ていて、受付でうるさいがそれでもいいかと聞かれた。世界の文字や、古い文字についての展示があったが、日本の漢字の展示は、うーん、もっといいのがなかったのかなあ。とすると、ほかの展示についても、その国の人が見たらひとこと言いたいというようなものもあるのかも。ショップで土産の小さなロゼッタストーンを買った。
 ホテルに戻る途中のスーパーで、お昼のサンドイッチを買う。3.96€ 防水対策をして小雨の中を12:00出発。
 フィジャックの駅に立ち寄る。まだ少し焦げ臭い。仮駅舎はホーム上のプレハブ、停まる本数も減り、自転車が載せられる電車は午後までない。
 フジャックの隣の駅カプデナックまで、D840を走行する。やがて雨はやむが路面は濡れている。セレ川とロト川が挟む峠越え。長い登りと急な下り。トレーラーのような大型トラックが、わきを次々走り抜けて行き気が抜けない。ゆっくり走るトラックがあり、よく見ると怖くて私たちの自転車を追い抜けないことがわかる。すみません。途中、左手に「美しい村」への道の標識を見る。下りのカーブを過ぎるとほどなくロト川にかかる大きな橋が見えたので、D840から右にそれて市街地に入る。カプデナックは小さな町。駅からは、対岸の丘の上にさっきの標識にあった「美しい村」が見えた。フィジャックのスーパーで買ったサンドイッチを駅の待合室で食べる。お客はほかに1、2人。駅員のいる駅。

Car TER

 どこ行きかわからないが、 Car TERがホームの端に止まっていた。大型バスで、自転車は裸ではトランクに積めなさそう。

カプデナック発14:15 → トゥールーズ着 @€10

 トゥールーズのホテルは駅に近くすぐわかったが、間口が1間半ぐらいで入るといきなり急な階段、自転車を持ち上げて登るとリセプションにぶつかり、右の小さなレストランを通り抜けその奥の物置に入れる。何から何まで狭い!
 徒歩で観光に。まず市庁舎キャピトルLe Capitoleへ。なかなか入り口がわからず、何度も聞きなおして、駅とは反対側が入り口とわかった。やっと入り口を見つけたのだが、マクロン大統領が明日来るので、警備の関係で入場できなかった。
 夕日に映えるバラ色の建物が美しい。名物の菫のチョコレートを買う。サン・セルナン・バジリカ聖堂Basilique St-Serninは時間が遅いので入れないとわかっていたが、とりあえず行ってみる。ぐるりと一周して、外から見ただけだが、夕日を浴びた塔が素晴らしい。帰り道の夕食はアジア麺。@€7.5 ホテルの並びに、バイキング式のアジア料理もちろん日本食の食べられる店を発見。もう夕飯は食べた後なので残念。

トゥールーズ泊   Hôtel Ambassadeurs

写真 7 夕方のトゥールーズ

10.  ミディ運河

(10月16日 トゥールーズ~カルカッソンヌCarcassonne 58㎞走行)  

ジャコバン修道院

 この日は、トゥールーズから行けるところまでミディ運河沿いを走行。そこからカルカッソンヌまで輪行。
 朝食は、ホテルの並びのパン屋でパンとコーヒーを買い、通勤途中に立ち寄った人たちに交じって立って食べた。歩道にテーブルと椅子が出ているが、寒くてとても座っていられない。
 自転車で、昨日のサン・セルナン・バジリカ聖堂Bacilique St-Sernin、生徒たちが登校の最中の高校前のジャコバン修道院Couvent des Jacobinsを見学。素晴らしい。都市部は自転車の盗難が多いと聞いていたので、交代で中に入った。
 その後、ガロンヌ川La Garonneべりに出る。景色がいいのでセントピエール橋Pont St-Pierreを少しだけわたって戻ろうとしたが、歩道が狭くて自転車がUターンできず向こう岸まで行ってもどった。

写真 8 トゥールーズ・ミディ運河のスタート地点

 ミディ運河Canal du Midiが始まる橋の上で記念撮影後、運河沿いのサイクリングロードに入る。
 運河はトゥールーズ駅前を通っているが、再開発工事中なので自転車は運河から少し離れる。駅舎は立派で見ごたえがある。市街地の運河沿いの道は少し埃っぽい。ルートははじめから自転車と歩行者専用道路で、橋は下をくぐるようになっているので車の心配はないし、階段もない。道端のスーパーでオレンジなどを買う。ガイドブックの地図にはスーパーのマークがいくつかあるので、行動食や昼食は大丈夫と踏んだが、運河沿いのサイクリングロードから見える近い店はなかった。
 プラタナスの大木がどこまでも立ち並ぶサイクリングロードを、「きれいだねー」と何度も言って快調に走り続ける。エアバス社が運河沿いにあり、昼休みなのか次々とジョギングする人がサイクリングロードに出てくる。

写真 9 運河沿いに、秋の美しいプラタナスの並木がどこまでも続く

 閘門 Écluseがいくつもあり、トゥールーズに向かう二そうの船の作業をのんびりと見た。閘門の作業から見ると、このあたりはトゥールーズに向かって運河は下りだが、緩やかすぎて流れがほとんどわからない。

写真 10 所々にある閘門

 レストランは見渡してもない。トイレは?ベンチとトイレをようやく見つけたのですわって持ち合わせの食べ物を広げたところで、すぐそばに小さなレストランがあることに気が付く。地名はカスタネットCastanetで、Écluse de Castanet閘門の前。最寄りの駅はLabège。
 水辺の風景になじんだ小さな建物で、表のテーブルはほぼ満席だった。自転車乗りの人たちでもなければピクニックに来た人たちでもなく、あたりは畑が広がり小さな村しかないので、わざわざ車で食べに来た人たちと思われた。3種類のセットメニューがあり、デザートも付いている。€100.8 秋のいい天気。

写真 11 やっと見つけた運河べりのレストラン

 ゆっくり食事を済ませ再び走行。サイクリングロードはずっとアスファルト舗装。すれ違った男性のサイクリストに呼び止められ、来週ラグビーの応援で日本に行くといわれた。ヨーロッパはサッカーに夢中だと思っていたがラグビーもそうなのだ。
 運河にまんべんよく水を流すために作られたサン・フェレオール貯水池へは、私たちが走行を終了した閘門より4.5㎞ほど先のPort Lauragais (このあたりが運河の最も高いところで分水嶺)で運河を離れ、鉄道を横切り田舎道をRevel方面に向かうと、55㎞ほどで行ける。
 帰ってから、Eテレのフランス語講座で、ミディ運河が取り上げられていて、このどこまでも続くみごとなプラタナスの並木に病気が発生していて、たくさん切り倒されていることを知る。切り倒されたところに苗木が植えられているシーンがあったが、そんなところは見かけなかったが、もっと先なのかもしれない。

ここでミディ運河から離れる

 スタート地点から39㎞走ったところの閘門Écluse de Gardouchで、サイクリングロードを離れてVillefranche de Lauragaisの駅に向かう。これで今回の旅のすべての自転車走行は終わり、何事もなくほっとする。。
 駅までの道は交通量が多い。道路標識には、カルカッソンヌまで68㎞と書かれていたので、あのままカルカッソンヌまで運河沿いを走り続けることは無理だ。今日一日で十分ミディ運河を堪能できた。

 駅は有人。夕方の電車は混んでいて自転車5台は無理かもしれないと言われたが、最後尾と先頭車両(この2両が載せていい車両)に分けて載せることができた。カルカッソンヌCarcassonneまで58€。 
 着いたときは暗くなりかけていた。ディミ運河は駅前を通っている。旧市街を通り抜け道を聞きながらホテルへ。自転車はホテルの裏の古いガレージに。
 一休みしたところで、名物のカスレをまだ食べてなかったので、いいレストランはないかとホテルのマダムに聞くと、マダムは、間髪を入れず机の下から地図を取り出し丸印を付けて渡す。ホテルの裏の人通りのない薄暗い街並み中にポツンと1件。入るとすぐに応対。ホテルのマダムから連絡があったのだろう。後でわかったのだが、ここのマダムとホテルのマダムは若いころ踊り子で一緒にステージに出ていたそうで、店に古いポスターが貼ってあった。カスレを注文したが、3皿しかないと言われシェアすることにしたが、豆がたっぷり入りボリュームがありすぎて3皿でもみんなで食べきれなかった。
 帰りにオード川Le Aude沿いに出て、ポンヌフ橋Pont NeufからライトアップされたシテCité(要塞)を見た。

カルカッソンヌ泊   Au Royal Hôtel

11. カルカッソンヌ観光

(10月17日  カルカッソンヌ~モンペリエMontpellier 輪行)

 ホテルの朝食はシンプル。シテの前に市内観光。カルカソンヌ・カテドラルへ。前の広場にいると、カテドラルの掃除?にやってきた老婦人から声をかけられた。鍵を開け中に入れてくれ、さらに祭壇脇の部屋にも案内、司教のワードローブの中まで見せてくれた。
 カルノ広場Place Carnotの朝市をぶらぶら。そのとき買ったオイルサ―ディーンとペーストは、1年たってもまだ冷蔵庫に残っている。

写真 12 カルカッソンヌ

 世界遺産のシテへ。Kさんと私は、入り口の門のところで観光ミニ列車に乗る。外からシテを眺めるコースで、日本語ガイドもある。敵に囲まれ兵糧攻めになった時、食料がつきて大変なのに、豚にたらふく食わせて太らせ城壁から落としたそうな。敵は、まだ食料はたくさんあると思い退散。今のように注目される前は、荒れていて人が住みついたり中の石が持ち出されていたとの説明があった。
 シテの中は広く、時間がないのでもったいないが急ぎ足で見学。ガイドブックによるとヨーロッパ最大の城塞とのこと。昼食はシテ内のレストランで。€62.5 

写真 13 カルカッソンヌ シテ
モンペリエへの電車の中

 ホテルで荷物と自転車を受け取り駅へ。窓口はいつでも開いているわけではなく、開くのを待つ人たちで長い列ができていた。私たちも切符を買うために並ぶが、開いても先頭の人がいつまでも話をしていて列は全く進まない。発車時間が迫ってきてやきもきする。並んでいるほかの人たちもそうだったろう。自動券売機をなんとか操作してカードで切符を買う。136.5€ ナルボンヌNarbonneでアビニヨン行きに乗り換えモンペリエへ。セートSéteに近づくと車窓から湿地が見え始める。ここは、おととし行ったカマルグ湿原の西の端だ。夕闇が迫る。
 モンペリエに着いたときは暗くなっていた。駅は新しく、駅前は再開発の工事中で複雑だ。通りすがりの人に聞いても手分けして探してもホテルが見つからない。この町はなぜだか地図で調べておいた感覚と実際とに距離感にずれがある。結局、ホテルはホームの人が見えるほど駅の近くだった。
 新しいホテルで、内装が終わってないところがあった。工事中の従業員の控室に自転車を入れるように言われ、ここで解体パッキング。ホテルの入り口に中国語が書いてあったので、チャイニーズレストランがあるのかと思ったら違った。このホテルは中国資本らしい。
 外に夕食へ。すぐそばに広場Square Planchonがあり、中央には半露店のような食料品店がかたまっている。食材、おつまみ、肉、スィーツ・・・ 人がいっぱいで、音楽もありとても賑やかというか騒がしい。ぐるぐるあたりを回り、ようやく1件のレストランに入る。モダンなお店。スタッフはみな若い男性。夕食€123

モンペリエ泊   Hotel Campanile Montpellier St. Roch

12. 帰路

(10月18日   モンペリエ~東京)   

 ホテルの合理的でシンプルな朝食。お土産を買いに出る。広場に面したスーパーは、間口に対して奥行きが深く、品物もたくさんあり、チョコレートやチーズを買った。右のチーズは日本円で300円ほどだったが、クリーミーでとてもおいしかった。私が手に取ったのは最後の1個。きっとよく売れるのだろう。日本でいうと売れ筋の納豆か。パッケージには、このツーリングでおなじみの牛が。空港で食べる昼食のサンドイッチも買う。€7.27 
 少し時間があったので、夕べ騒がしかった中の1件のチョコレート専門店で、ホットチョコレートを飲んで金属のスツールから降りようとしたら、びりり。ズボンひっかかって破れてしまった。パッキングした後なので取り換えようがない。何度も洗濯してうすくなっていたので、もうご苦労様ということかもしれない。
 空港まで3台のタクシーに分乗。 €100 
 イタリアでもフランスでもおばちゃんドライバーでもタクシードライバーはスピードを出す。そして彼らはアクロバットのようにほかの車をかき分け追い抜いていく。きっと運転が大好きに違いない。  

モンペリエ発15:25  AF768 ⇒ パリ着16:55

パリ発20:00  NH  ⇒  羽田着14:45 (東京19日着)